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奇跡 ~菩提樹の下で~ 

腹が減った。とにかく、何か食べよう。


ガイドブックで見つけたチベット料理屋に行くことにする。インドに来てチベット料理というのもどうかとは思ったが、ガイドブックに書かれた評判は悪くない。一連の騒動で疲れ果て、他のインド料理屋を探す気力もなかった。

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店の名は「Fujiya Green」。店内は停電でエアコンがついておらず、蒸し暑いのには閉口した。しかし、注文した「choumian(チョウミエン)」という焼きそばに似た麺料理は、なかなか美味しかった。
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僕らの席の向かい側で、西洋人の女性がインド人の青年2人に囲まれて話していた。女性は一人旅の最中のようで、インド人2人は地元の人間らしかった。女性は終始笑顔絶やさず、持っていた一眼レフの高そうなカメラを青年に持たせて、もう一人の青年と写真を撮るなど、ご機嫌だった。
会話の内容を詳しく聞いたわけではないが、この女性がインド人青年たちに騙されていく過程を目撃しているのではないことを願った。女性からは、アジアでの旅に慣れた雰囲気も感じられた。逆に、女性が青年たちを自分の旅に有利なように利用しているのだとしたら・・・。そんなことがあったら、痛快だ、なんて他愛もないことを考えながら、チョウミエンを食べていた。

店を出て、ようやくブッダ・ガヤの観光に出かけることになった。

まず、各国の寺院を巡ることにした。ブータン寺、日本寺、チベット僧院、新タイ寺(なぜ「新」が付くのかは分からない)・・・。
それぞれの建物は、お国の文化を反映している。日本寺のお堂は、てっぺんから四方に曲線を描く屋根と木の柱、そして正面には「日本寺」の扁額。境内も日本式庭園とはいかないまでも、木と芝生と石が整然と配置され、インドの一部であることを忘れさせる空間だった。


日本寺の門から本堂までの道

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日本寺本堂の正面

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熱心に祈る人たち

ブータン寺では、本国から来ている僧と少し話をした。彼らはブータン寺に泊まりながら、マハーボディー寺院で修行
をするのだという。

日本寺の近くに、愛知県の某宗教団体が建設したという大仏があった。

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日本国内にもよくある類の「モニュメント」だと思い、そこそこに引き揚げようとしたところ、面白い光景を見た。
大仏に通じる参道では、大勢の「物乞い」が観光客に喜捨をねだっていた。中には、手足が不自然に曲がり、地面にあぐらをかいたような姿勢のままですがりついてくる青年もいた。
彼らが、にわかにある人物の周りに集まりだした。それは東洋人らしきおばさんで、

なんと差し出された手一つ一つに、お金を配って

歩いていたのだ。


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おばさんが去った後、お金を握り締めた「物乞い」たちは、思わぬ収入に笑顔を浮かべ、互いに談笑すらしていた。たいていは憮然とした表情で差し出した手を払いのけられるところを、わざわざ向こうから喜捨にやってきてくれたのだから、うれしい気持ちは分かる。ただ、僕が多少違和感を感じたのは、日本で見かける、いわゆる「乞食」と呼ばれる人たちと比べ、

彼らの態度に悲壮感や卑屈さが感じられなかったことだ。

誤解を恐れずに言えば、どうしたら喜捨をもらえるかをあらかじめ計算しているような節があった。中国には「仕事」として物乞いをしている人がいる、と聞いたことがあるが、彼らの様子はそれとも違う。インドという人間のるつぼでは、物乞いも決してアウトローではなく、社会を構成するれっきとした要素の一つなのだ。そう考えると、彼らの妙に堂々とした態度もつじつまが合うように思え、納得のいく気分になった。

ひととおり寺院を巡って、いよいよブッダ・ガヤの中心、

マハーボディー寺院に行く。

某有名ガイドブックによると、紀元前3世紀にアショーカ王が建立した寺院を起源に、紀元7世紀ごろにほぼ現在の姿になったという。

高さ52メートルの石造りの仏塔が印象的だ。

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ちょうどベトナムの首相が訪問中で、門の前で少し待たされた。境内に入るには靴を預けなければならず、僕は靴下も脱いで裸足になった。インドの強烈な日差しにさらされた石の温もりが心地よい。

仏塔の中に安置された金色の仏像を拝んだ後、仏塔の周りをゆっくり歩く。
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塔の裏側に、一本の菩提樹が、枝を大きく広げて鎮座している。周囲には、大勢の人々が座り、ある者は一心に祈りを捧げ、ある者は放心したように目の前を行き過ぎる人の流れを見つめていた。
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そう、この大木こそ、2500年前、

ブッダがその木陰で覚りを開いたとされる菩提

樹の子孫
なのだ。

僕らも、かつてのブッダと同じように木陰に腰を下ろし、足を休めた。
すると、不意に一枚の葉がひらひらと舞い、僕の目の前に落ちた。大勢の人々が菩提樹を見上げているのに、誰も落ちた葉を拾おうとしない。それなら拾おうか、そう思った瞬間、目の前をさっと人影が横切り、気がついたときには一人の少年僧が葉を拾い上げ、疾風のように去っていってしまった。
ブッダゆかりの菩提樹の葉だ、修行僧なら欲しいよな。そんなふうに自分を納得させながら座っていると、少年僧が再び風のようにやってきて、僕の前に立った。

そして、さっき拾い上げた菩提樹の葉を、目の前に

差し出した。


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「Thank you」
僕が葉を受け取ると、少年僧は微笑みを浮かべ、またさっと元いた場所へ走り去った。きっと、彼は僕がじっと目で追っていたのに気づいていたのだろう。なんだか、小さな奇跡にめぐり合った気がした。素晴らしい宝物を貰った。インドへ来て、初めてすがすがしい気分になれた。

やがて日が暮れ、月が上った。石造りの仏塔は、四方からライトの光を浴び、闇に浮かび上がった。側面に施された無数のレリーフが、幾何学模様のような陰影をつくりだしている。

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仏塔の向こうに、月が上る

境内のそこかしこで、僧が祈りを捧げていた。そのすぐ脇を、バックパックを背負った観光客がカメラ片手に通り過ぎていく。聖と俗が入り交じった、不思議な空間。闇に浮かんだ仏塔は、そのすべてを優しく見下ろしている。まだ陽の温かさが残る石の上に身を投げ出し、僧の祈りの言葉を聞いていると、ふとブッダの懐に抱かれたような気分になった。











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焦燥 ~ブッダ・ガヤの朝~ 

午前3時半。携帯電話の目覚ましコールが鳴る直前に目を覚ます。
照明は落とされ、車輪がレールを渡る音が寝静まった車内にこだましている。

ガヤの一つ手前の停車駅を過ぎた時刻から考えて、列車は30分ほど遅れていた。
予想は裏切られた。普段でも2、3時間、ひどい時は12時間もの遅れが出るというインド国鉄。ガヤに早朝に着く「予定」の列車を選んだのは、かなりの遅れが出ることを見越してのことだった。インド国鉄の意外な勤勉さのおかげで、まだ陽も上らないうちに見知らぬ土地の空気を吸うことになってしまった。

午前4時20分、定刻より5分遅れでガヤ到着。

ホームには小雨が降っていた。とりあえず、明るくなるまで駅で待つことにし、正面玄関のホールへ向かう。たくさんの人々が床に座り、あるいは寝転がりながら、これから到着する列車を待っていた。

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彼らの多くは薄汚れた衣服をまとい、裸足の者もいた。目の前に横たわっている男たちの顔や髪には、絶えず蝿がたかっていた。男たちはそれを振り払うこともせず、じっと目をつむっていた。彼らがこれからどこへ向かい、何をしようとしているのかは分からないが、彼らが貧しいということだけは確信が持てた。

2時間ほど待って、いよいよブッダ・ガヤへ向け移動することにした。

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ガヤ駅前。広場にはところどころに牛が闊歩している

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広場で客待ちをするサイクルリクシャー(人力のリクシャー)


駅前広場に出ると、外国人の姿を見つけたオートリクシャーのワーラー(運転手)たちが群がってきた。しかし、向こうから声を掛けてくるワーラーは、初めから無視と決めていた。外国人を「カモ」と考えているであろう彼らは、まず法外な値段を吹っかけてくるだろうし、指示した行き先に素直に向かうとも限らない。彼らがマージンを貰っている宿や土産物屋、旅行会社などに連れて行かれる可能性も、じゅうぶん考えられる。

そのような面倒を避けるため、僕らは乗り合いのオートリクシャーを探した。地元の人たちと一緒に乗り込めば、よもやワーラーも変な場所に連れて行こうとは思うまい。広場の隅に停まっていた1台に目をつけ、既に乗り込んでいた女性に聞くと、ブッダ・ガヤに行くという。ワーラーと2人で30ルピー(約60円)で話をつけ、最後部の荷台のようなスペースに乗り込んだ。

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オートリクシャー。僕らが乗り込んだのは幌のかかった最後部

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オートリクシャーの内部。少しでも利益を上げるため、すし詰め状態に


背中を丸め、振動で天井に頭をぶつけそうになりながらも、僕らはインドの田舎の風景を楽しんだ。時折、沿道の草むらの中にしゃがみこんでいる人が見える。大地をトイレにして用を足しているのだ。インドでも都市ではさすがにトイレがあると思うが、田舎ではまだこういう光景が見られるらしい。


カーステレオから流れるダンスミュージック?が耳について離れない


30分ほど走っただろうか。「ここだ」と言われて降りた場所は、ブッダ・ガヤの中心部だった。

すぐ先には、ブッダが覚りを開いた場所に建てられたとされるマハーボディー寺院がそびえている。まずは荷を解いてシャワーを浴びたい。ニューデリーで日本人の旅人に教えてもらった宿を探すことにし、ガイドブックの地図を見ながら歩き出した。

しかし、地図の通りに歩いていくと、途中から舗装道路を外れ、小さな集落の中を通る細い道に入ってしまった。子どもたちがこちらに奇異の視線を向けてくる。大人たちの表情もどこか硬く、よそ者を歓迎していない空気が感じられた。夜、食事を終えてこの道を宿まで歩く勇気は、持てなかった。

道を間違えて30分近くさ迷った末、何とかオートリクシャーを降りた場所まで引き返した。ニューデリーを出発して15時間以上が経ち、疲れはピークに達していた。とにかく、宿で休みたい。ガイドブックを開き、少し値が張っても(ゲストハウスに比べて、というレベルだが)設備が整っていそうなホテルを選んで向かうことにした。

日本語で話しかけてくる客引きを振り切るようにして、街の中心からやや離れたホテルにチェック・インした。ブッダ・ガヤには、仏教が普及している国々の寺院が点在している。そのホテルはブータン寺のすぐ前にあった。

シャワーを浴び、1時間ほど休んでから、翌日の帰りの切符を買いに街中の売り場へ向かった。ニューデリーでは、バラナシからニューデリーまでの切符だけを予約し、ガヤからバラナシへの切符は現地で手に入れようと考えていた。しかし、それはとんだ間違いだった。

係員にバラナシまでの2等寝台が欲しいと告げると、彼はパソコンのキーをたたき、画面を確認して無表情のまま「ない」と言った。

ほかの列車はないのか、と尋ねた。またパソコンのキーをたたく。「ない」

じゃあ、3等寝台は? 「ない」


係員は、寝台ではなく座席車ならガヤ駅の窓口で買えると言う。座席車は指定席ではない。ガヤ駅やニューデリー駅で目にした混雑ぶりからして、かなり早めに乗り込まなければ、席を確保するのは難しい。その上、ガヤ~バラナシ間は特急でも(定刻で)4時間近くかかる。鉄格子のはまった車両で、インドの民衆に混じって外国人が数時間を過ごすことは、街中を歩くよりも大きな危険が伴うことは容易に想像できた。
これがもし中国だったら、座席車での移動を受け入れたかもしれない。問題は、車両に充満する民衆の多くが僕らより体格の良いアーリア系人種で、しかも確実に貧しいということだ。彼らにまったく悪意がないとしても、褐色の顔面から刺すような視線を送られれば、こちらは少なからず恐怖を覚えてしまう。仮に、民衆の心に貧しさからくる悪意が生まれたとしたならば・・・。そのような張り詰めた空気の中で数時間を過ごす気には、とてもなれない。

にわかに鼓動が速まった。明日、ガヤからバラナシまで移動できなければ、帰りの飛行機に間に合わせるため、バラナシを飛ばしてガヤから直接ニューデリーへ帰らなければならない。この旅のハイライトとも言えるガンジス河の風景を見ずにインドを後にするのは、いかにももったいない。何とかならないものか。

僕は、食い下がった。係員の答えがあまりに素っ気無く聞こえたことと、ここまでの旅で蓄積していたインド人への不信が、僕を強気にさせていた。

窓口のガラスを指ではじき、大きな声で言った。「Really!?」

係員は、初めて顔色を変えた。そう言うなら、こっちに来てみろ。彼は僕らをオフィスに呼びいれ、パソコンの画面を指差した。彼がもう一度、僕らの要求した列車の空席照会をする。画面には「Waiting」(空席待ち)の文字が表れた。

自分の怒りが根拠のないものであった証拠を突きつけられて、全身の力が抜ける思いがした。係員に謝り、和解の印にと握手を求めたが、彼は微笑みを浮かべながらも拒絶し、「ナマステ」 とだけ言った。

後味の悪さと、旅の前途への不安だけが残った。一縷の望みをかけ、泊まっているホテルに付属している旅行会社でも列車の空席照会をしてもらったが、やはり席は埋まっていた。列車がダメなら、バスがあるはず。だが、尋ねると「バスは走っていない」と無情な答えが返ってきた。

残された手段は、旅行会社の車のチャーターしかなかった。値段は、運転手の手配やガソリン代、高速道路代などすべて含んで6000ルピー(約12000円)。本来は観光用のため、片道ではなく往復分の運賃だという。背に腹は代えられない。断腸の思いで、翌日午前9時出発で予約する。

時計を見ると、午後1時を回っていた。朝から何も食べていない。ニューデリーと同じだ。カラに近いはずのバックパックのひもが、ずしりと肩に食い込む感じがした。





そろそろインドにヤラレそうになってきたら
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休息 ~メイン・バザールで昼食を~ 

外国人専用窓口では、真っ黒に日焼けした日本人の男性に出会った。これから、カシミール地方に近いダラムサラに向かうという。ダラムサラといえばチベット亡命政府の拠点で、あのダライ・ラマが暮らしている。そのエキゾチックな魅力に引かれ、今回の旅で訪れようかと考えたが、ニューデリーからバスで12時間かかるため、時間が足りず断念した。

男性は2年ほど世界を放浪していて、インドには5ヶ月滞在しているという。僕らがこれから向かうブッダ・ガヤにも2週間ほどいたといい、泊まっていたゲストハウスを紹介してもらった。放浪生活に「沈没」してしまった旅人にありがちな粗雑さや横柄さはなく、絶えず笑みを浮かべながら静かな口調で話す好青年だった。年齢は聞かなかったが、おそらく30歳前後ではないかと思われた。できれば旅に出たきっかけやこれまでの旅のエピソードなどを一杯やりながらじっくり聞きたいところだったが、如何せん、時間がなかった。

僕らが買ったチケットは、ブッダ・ガヤの最寄り駅「ガヤ」まで。ニューデリー16時10分発で、ガヤには定刻なら翌日の午前3時55分に着く。
とりあえず、旅を先に進められることになった安堵で、にわかに空腹感が増してきた。考えてみれば、朝から何も食べていない。列車の発車まで、メイン・バザールで過ごすことにした。

メイン・バザールは、ニューデリー駅を出て通りを渡ったすぐの場所にある。ヒンディー語の地名は「パハール・ガンジ」というらしい。名前を聞くとニューデリーを代表する巨大な市場が連想できる。

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メイン・バザール

が、実際に行ってみると、車がやっとすれ違えるほどの道の両側に古びた商店が軒を連ねているだけで、他の場所に比べ特に賑わっているわけでもない。道は一応舗装されてはいるが、ところどころに穴が空いて土が露わになっている。そのせいか、通り全体が土煙で霞んでいるような錯覚に襲われた。


人や車、オートリクシャー、さらには牛車までもがまかり通る!


通りを15分ほど歩いて、インド料理を出していそうな食堂に入った。店の前に窯があり、そこでチャパーティーを焼いていたのだ。
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チャパーティーは、小麦粉を水で練り、薄く焼き上げたもの。北インドでは定番のパンだそうだ。店内で食事をしているインド人がカレーに付けておいしそうに食べているのを見て、同じ組み合わせを注文した。
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日本でもよく知られているナンに比べると、生地は薄くて小さい。価格は1枚で3ルピー(約6円)。2人でチャパティ6枚にカレーを一つずつ付けても計140円足らず。僕はある程度覚悟していたのだが、カレーは思ったほど辛くはなく、インドで初めての「インドらしい」食事を楽しむことができた。


メイン・バザールを後戻りして、少し早めに駅へ。外国人専用窓口へ行き、涼しい室内で休んでいると、偽DTTDCで僕らを救ってくれたカナダ人3人組が入ってきた。手を振ると、その中の1人が笑顔で「Japanese friend!」と返してくれた。
彼らも列車に乗り、バラナシへ向かうという。比較的清潔な(笑)服装であまり日焼けしていないことから、彼らは学校の休みか何かを利用してインドを訪れたのだろう。
彼らは列車の発車10分前まで室内にとどまり、特に慌てた様子もなく出ていった。発車1時間前から駅で待機している僕らとは、肝の据わり方が違う。彼らに落ち着きをもたらしているのは何だろう。やはり、言葉に不自由しないことだろうか。

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ニューデリー駅の跨線橋から

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最も運賃の安い座席車。不正乗車を防ぐため、窓には鉄格子

列車は、ほぼ定刻にニューデリーを出発した。僕らが乗ったのは2等寝台。一つのコンパートメントに2段ベッドが向かい合わせに据え付けられている。日本で言えば、B寝台といったところか。

向かいの客は、お父さん、お母さんと子ども2人の親子連れ。子どもは3、4歳ぐらいの女の子と、乳飲み子だった。早朝にガヤに着くことを伝えると、お父さんが乗務員を呼んで、ガヤに着く直前に僕らを起こすように頼んでくれた。
女の子は突然目の前に現れた外国人に驚いたらしく、ちらちらとこちらに視線を向けてくる。しかし、目が合って笑顔を返しても、表情は硬いまま。こういうときのためにと日本から持ち込んだ折り紙で魚や鶴を折ってプレゼントしたのだが、あまり効き目はなかった。

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2等寝台の車内。左下にお母さんの寝顔が

この列車は、インド国鉄が誇る特急「ラージダーニー・エクスプレス」。乗客には大きめのペットボトル入りの水が配られ、おやつと夕食のサービスもあった。

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夕食。「ノンベジタリアン」を選択


日本の鉄道より広い「広軌」のレール上を走る車両は揺れも少なく、僕らはエアコンの効いた快適な空間に守られながら、一路ガヤを目指して疾走した。





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洗礼 

2日の朝は、午前9時前に起きた。

泊まった部屋には、通りに面したバルコニーがあった。朝の光に誘われて、ビデオカメラを片手に外へ出てみる。昨夜、静けさと闇に支配されていたデリーが、すっかり息を吹き返していた。

動画:AJANTA HOTELのバルコニーからの眺め
AJANTA HOTELバルコニーからの眺め(サムネイルをクリック)

物乞いと思われる子連れの女性、ホテルを出てくる客を待ち構えているであろうオートリクシャーの運転手・・。ほんの10数メートル先に、生のインドがある。これからの旅路を思うと、下腹をひもで締められたような圧迫感を感じた。

身支度を整え、チェックアウトする。このホテルとは、もうお別れ。夕方には夜行列車に乗り、ブッダが覚りを開いた地とされるブッダガヤに向かう予定だ。しかし、そのためにはまず、ニューデリー駅からの切符を買わなくてはならない。

インド国鉄の切符はいま、インターネットサイトを通じて購入できる。僕らももちろん、試みてみた。しかし、何度挑んでも最後の画面でクレジットカードの決済ができず、あきらめてしまった。切符を手に入れるには、ニューデリー駅の2階にあるという外国人専用窓口へ行く必要がある。


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ニューデリー駅近く。普通に牛車が通る

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北側から駅前広場へ入る。左手のクリーム色の建物がニューデリー駅舎


「あるという」などとあいまいな言葉を使ったのは、切符を買うこと以前に、その場所をまず「見つける」ことが、旅行者に課せられた試練であるからだ。旅好きの日本人なら誰でも知っている某有名ガイドブックの投稿欄には、この場所がなかなか見つけられずに苦労した先輩バックパッカーの言葉が並んでいる。「とにかく分かりにくい場所にある」「駅で階段を見つけたら、とにかう上ってしまうのが手だ」。

たどりつけたのならまだマシだ。ある旅行者は、駅の階段の前でインド人に力ずくで通せんぼをされ、そいつの言うままに料金の高い旅行会社
でツアーを組まされたという。その人は5回、階段を上ろうと試みたが、5回とも「力ずくで」阻止されたという。

にわかには信じがたい話だ。

しかし、ここはインド。何が起きても不思議ではない。ニューデリー駅には、ホテルから10分とかからなかった。駅舎に入ると、とにかく階段を探した。しかし、見つからない。人波を掻き分け、前へ前へと進む。すると、駅舎の端に、ホームへ通じる跨線橋の階段が見えた。駅舎の中に通じる階段ではなかったものの、2階への入り口であることは確かだ。歩を速めて上ろうとした。



インド人の男が、近寄ってきた。

男は、大きな声でこう話す。「今日はガンジーの誕生日で祝日だから、外国人専用窓口は開いていない。それでもこの駅で切符は買えるが、座席車だけで寝台車のは買えない。ここからオートリクシャーでコンノート・プレイスにあるデリー観光交通開発公社(DTTDC)のオフィスに行けば、寝台切符も買える。今日、切符を買うならそこで買うしかない」。

最初、僕たちは構わず階段を上ろうとした。しかし、男は持っていた証明書のような物を差し出し、自分はオフィシャルな人間だと訴えた。そして、僕の持っていたガイドブックを半ば奪うようにして、コンノートプレイスの地図にあるDTTDCオフィスを指差した。

怪しいとは思った。しかし、2日がガンジーの誕生日というのは本当だった。出発前に調べると、この日はデリーを流れる河のほとりに人々が集まり、何らかの行事があるということだった。時間があれば見物したかったが、ネットで切符の予約ができなかったため、あきらめたのだった。

たしかに、2日はガンジーの誕生日。ガンジーの誕生日。祝日だから、公的機関は休み。休みだから切符は取れない。切符を取るなら、DTTDCに行かねば。


僕たちの疑い深い心は、次第にほぐれた。


男が手配したオートリクシャーに乗り、10分ほど走っただろうか。かつての支配者イギリス人がイギリス人のために造った巨大ショッピングエリア、コンノート・プレイスに、たしかに着いた。しかし、案内されたオフィスは、明らかにガイドブックに載っているDTTDCの建物とは違っていた。

怪訝な気持ちのままドアを開けようとしたそのとき、中から白人の若者3人が入れ替わるようにして出てきた。ちょうどいい。彼らに尋ねよう。ここはDTTDCかい?僕たちはニューデリー駅の窓口が閉まっていると聞いて、ここへ来たんだ。

若者の一人が、意外なほど落ち着いた口調で言った。

「俺たちはけさ、その窓口で切符を買ったよ」。

目の覚めるような気持ちだった。事態の急変に、案内してきたオートリクシャーの運転手の表情が曇った。彼は二言三言、真実を口にした若者に抵抗してみせたが、背の高い若者が覆いかぶさるようにして何事か話すと、それきり物を言わなくなってしまった。



・・さて、奴の処遇だ。




駅に着いて、初めに上がろうとしていた階段へ向かった。すると、さっき僕たちをだまして偽のDTTDCへと差し向けた男が、今まさに別の白人カップルをそそのかし、オートリクシャーへ乗せようとしているところだった。

大またで歩み寄る。異変に気づいた取り巻きが、僕の肩をつかんで止めようとした。が、もう遅い。僕は奴の肩をたたき、振り向いたその褐色の顔に向かって指を突き立てて叫んだ。

「You are liar!」

男は呆気に取られたように目を丸くしていた。白人カップルは苦笑いしながら歩き去った。一転、勝者となった僕たちは踵を返し、再び駅舎へ向かった。

それから、しばらく駅の構内をさ迷った。やっとの思いで窓口を見つけたときには、ホテルを出てから2時間以上が経っていた。見つけてみると、そこは意外に「分かりやすい」場所にあった。ただ、僕たちが駅に入った方角からは死角になるため、気がつかなかったのだ。

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外国人のオアシス・・


エアコンの効いたオフィスで汗がひいていくのを感じながら、インド2日目にしてすっかりだまされてしまった事実に、インドという国の空恐ろしさを思った。気をつけていたはずなのに、してやられた。ガンジーの誕生日という予備知識が、研ぎ澄ましていたはずの判断力にベールを掛けてしまったのか。

無事に列車の切符を取り、駅を出ると、奴が凝りもせずに別の白人旅行者を口説いている最中だった。指でバツ印をつくり、サインを送る。サングラスの旅行者が気づいたらしく、軽くうなずき返した。

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見れば見るほどいまいましい奴だ!


快適に旅をする権利と環境は、旅行者同士の努力で守っていく。バックパッカー同士、国籍を超えて支えあった満足感で、空いた腹も満たされる気分だった。


これからインドへ行くバックパッカーのために、ニューデリー駅の外国人専用窓口への順路を動画で紹介したいと思う。昔はいざ知らず、今は大きな看板も出ており、決して分かりにくい場所ではない。


ニューデリー駅外国人専用窓口への道









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予兆  

10月1日午前5時。新宿行きのバスに乗るため、家を出る。
海外旅行に出かけようとすると、どうしても早起きになる。成田空港までは長野新幹線と成田エクスプレスを乗り継げば3時間ほど。しかし、できるだけ国内移動の費用を節約したい僕たちは、いつも高速バスを使う。

今回使ったのは、ハーヴェストライナーという「ツアーバス」。毎日出発しているので路線バスみたいなものだが、長野~新宿間が片道1900円と、普通の路線バスより2100円安い。こうした会社は勤務ダイヤが過密で運転手が疲れているのではないかと少し心配したが、道中はすこぶる快適だった。

デリーまでのフライトには、アシアナ航空を選んだ。15時20分成田発。仁川で乗り継ぎ、デリーには23時45分に着く。

仁川は、日本からアジア各地、欧州方面へ向かうのにとても便利な中継地だ。地理的に両者の中間に位置しているため、距離的、時間的なロスが少ない。
韓国の航空会社のスケジュールも、けっこう利用しやすい。昨年、ベトナム・カンボジアを旅したときも、大韓航空を使った。今回のアシアナ航空デリー便は、復路が10月7日午前1時10分デリー発、19時30分成田着。1週間の休みの最終日ぎりぎりまでインドの空気を吸っていられる。

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雲海から山頂をのぞかせる富士山


仁川行きの飛行機で出された機内食を見て、驚いた。

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カップ入りの水のラベルには「Kiso Spring」の文字。製造会社の住所は「長野県木曽郡木曽町」。こんなところで、故郷の名前を目にするとは思わなかった。インド上陸に備え、きれいな水を確保するため飲まずにザックに入れた。


仁川に着き、デリー行きの便の搭乗口へ移動すると、

そこにはもう 南アジアの匂いが充満していた。

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韓国人、日本人の姿はほとんどない。サリーを着た女性、褐色の肌の間で光る目をきょろきょろさせながら辺りをうかがう男性、旧知の仲間と再会し、ヒンディー語で何やら議論に花を咲かせるインテリ風の若者たち・・・。圧倒的な「異質」に飲み込まれそうになりながら、僕たちは搭乗を待った。

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約8時間のフライトを終え、機体がインディラ・ガーンディー国際空港に滑り込んだのは、10月2日午前0時を回ったころだった。荷物をすべて機内持ち込みにしていた僕たちは、入国審査を終えるとすぐ両替を済ませ、足早に到着ロビーに向かった。

1日目の宿は、日本でネット予約していた。その宿には空港での無料ピックアップサービスがあり、それを見込んで決めたのだった。暗殺された元首相の名のついたこの国際空港からデリー市街までの公共交通機関は心もとない。エアポートバスは1時間に1本出ているというが、ガイドブックで見たバス停の時刻表はひどくおんぼろで、信用が置けるか分からない。プリペイドタクシーは、申し込んだ行き先とは別の、彼らが個人的に契約しているホテルや旅行会社に連れて行かれるリスクがある。丸1日を移動に費やしてはるか極東の国からやってきた旅人には、到着初日ぐらい、トラブルに遭わずにホテルに直行し、疲れを癒したい願望が強かった。


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到着ロビーには、出迎えの人たちが鈴なりになっていた。僕たちは目を凝らし、彼ら一人ひとりが掲げているボードを見つめて自分たちの名を探した。



ない。



もう一度、端から見直してみる。



やはり、 ない。



ロビーに出てくる乗客はまばらで、何度も同じ場所を弧を描いて歩き回る東洋人はいやでも目立つ。刺すような視線が、全身に注がれているのが分かった。

焦りが先に立ち始めたそのとき、一つのボードの前で足が止まった。「SINH」というインド人らしき人名の横に、僕たちが泊まる予定のホテルの名が書いてあった。すがる思いで、ボードを持つ男に話しかける。すると、どこからか携帯電話を持った別の男が現れた。風貌からして、ピックアップサービスの現場監督役らしい。ホテルに予約を入れていることを話すと、男は携帯電話でホテルに確認を取り、その場で空港に向かえに来ている車の一台を僕たちに割り当ててくれた。

ネット予約のとき、備考欄にピックアップサービスの依頼を書いたはずだが、向こうが見落としたのか。でも、もうそんなことはどうでも良かった。同じホテルに泊まるインド人のおかげで、休息の場所まで移動する権利を手に入れたのだから。

深夜のデリーの街は、閑散としていた。街路灯は薄暗く、首都らしい高層ビル群やネオンサインの類はまったく見えなかった。時折、道端に大きな牛が寝そべっているのが見えた。そして、それと同じぐらいの頻度で、人間が眠りこけているのも見えた。

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夜の闇に溶けてしまったデリーの街は、不気味なぐらいの静けさで、僕たちを出迎えた。





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Author:barung
アジア大好き。いつも格安チケットで行く貧乏旅行。もちろん国内旅行も大好き。これまでの旅の記録をのんびり綴る不定期ブログです

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