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焦燥 ~ブッダ・ガヤの朝~ 

午前3時半。携帯電話の目覚ましコールが鳴る直前に目を覚ます。
照明は落とされ、車輪がレールを渡る音が寝静まった車内にこだましている。

ガヤの一つ手前の停車駅を過ぎた時刻から考えて、列車は30分ほど遅れていた。
予想は裏切られた。普段でも2、3時間、ひどい時は12時間もの遅れが出るというインド国鉄。ガヤに早朝に着く「予定」の列車を選んだのは、かなりの遅れが出ることを見越してのことだった。インド国鉄の意外な勤勉さのおかげで、まだ陽も上らないうちに見知らぬ土地の空気を吸うことになってしまった。

午前4時20分、定刻より5分遅れでガヤ到着。

ホームには小雨が降っていた。とりあえず、明るくなるまで駅で待つことにし、正面玄関のホールへ向かう。たくさんの人々が床に座り、あるいは寝転がりながら、これから到着する列車を待っていた。

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彼らの多くは薄汚れた衣服をまとい、裸足の者もいた。目の前に横たわっている男たちの顔や髪には、絶えず蝿がたかっていた。男たちはそれを振り払うこともせず、じっと目をつむっていた。彼らがこれからどこへ向かい、何をしようとしているのかは分からないが、彼らが貧しいということだけは確信が持てた。

2時間ほど待って、いよいよブッダ・ガヤへ向け移動することにした。

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ガヤ駅前。広場にはところどころに牛が闊歩している

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広場で客待ちをするサイクルリクシャー(人力のリクシャー)


駅前広場に出ると、外国人の姿を見つけたオートリクシャーのワーラー(運転手)たちが群がってきた。しかし、向こうから声を掛けてくるワーラーは、初めから無視と決めていた。外国人を「カモ」と考えているであろう彼らは、まず法外な値段を吹っかけてくるだろうし、指示した行き先に素直に向かうとも限らない。彼らがマージンを貰っている宿や土産物屋、旅行会社などに連れて行かれる可能性も、じゅうぶん考えられる。

そのような面倒を避けるため、僕らは乗り合いのオートリクシャーを探した。地元の人たちと一緒に乗り込めば、よもやワーラーも変な場所に連れて行こうとは思うまい。広場の隅に停まっていた1台に目をつけ、既に乗り込んでいた女性に聞くと、ブッダ・ガヤに行くという。ワーラーと2人で30ルピー(約60円)で話をつけ、最後部の荷台のようなスペースに乗り込んだ。

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オートリクシャー。僕らが乗り込んだのは幌のかかった最後部

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オートリクシャーの内部。少しでも利益を上げるため、すし詰め状態に


背中を丸め、振動で天井に頭をぶつけそうになりながらも、僕らはインドの田舎の風景を楽しんだ。時折、沿道の草むらの中にしゃがみこんでいる人が見える。大地をトイレにして用を足しているのだ。インドでも都市ではさすがにトイレがあると思うが、田舎ではまだこういう光景が見られるらしい。


カーステレオから流れるダンスミュージック?が耳について離れない


30分ほど走っただろうか。「ここだ」と言われて降りた場所は、ブッダ・ガヤの中心部だった。

すぐ先には、ブッダが覚りを開いた場所に建てられたとされるマハーボディー寺院がそびえている。まずは荷を解いてシャワーを浴びたい。ニューデリーで日本人の旅人に教えてもらった宿を探すことにし、ガイドブックの地図を見ながら歩き出した。

しかし、地図の通りに歩いていくと、途中から舗装道路を外れ、小さな集落の中を通る細い道に入ってしまった。子どもたちがこちらに奇異の視線を向けてくる。大人たちの表情もどこか硬く、よそ者を歓迎していない空気が感じられた。夜、食事を終えてこの道を宿まで歩く勇気は、持てなかった。

道を間違えて30分近くさ迷った末、何とかオートリクシャーを降りた場所まで引き返した。ニューデリーを出発して15時間以上が経ち、疲れはピークに達していた。とにかく、宿で休みたい。ガイドブックを開き、少し値が張っても(ゲストハウスに比べて、というレベルだが)設備が整っていそうなホテルを選んで向かうことにした。

日本語で話しかけてくる客引きを振り切るようにして、街の中心からやや離れたホテルにチェック・インした。ブッダ・ガヤには、仏教が普及している国々の寺院が点在している。そのホテルはブータン寺のすぐ前にあった。

シャワーを浴び、1時間ほど休んでから、翌日の帰りの切符を買いに街中の売り場へ向かった。ニューデリーでは、バラナシからニューデリーまでの切符だけを予約し、ガヤからバラナシへの切符は現地で手に入れようと考えていた。しかし、それはとんだ間違いだった。

係員にバラナシまでの2等寝台が欲しいと告げると、彼はパソコンのキーをたたき、画面を確認して無表情のまま「ない」と言った。

ほかの列車はないのか、と尋ねた。またパソコンのキーをたたく。「ない」

じゃあ、3等寝台は? 「ない」


係員は、寝台ではなく座席車ならガヤ駅の窓口で買えると言う。座席車は指定席ではない。ガヤ駅やニューデリー駅で目にした混雑ぶりからして、かなり早めに乗り込まなければ、席を確保するのは難しい。その上、ガヤ~バラナシ間は特急でも(定刻で)4時間近くかかる。鉄格子のはまった車両で、インドの民衆に混じって外国人が数時間を過ごすことは、街中を歩くよりも大きな危険が伴うことは容易に想像できた。
これがもし中国だったら、座席車での移動を受け入れたかもしれない。問題は、車両に充満する民衆の多くが僕らより体格の良いアーリア系人種で、しかも確実に貧しいということだ。彼らにまったく悪意がないとしても、褐色の顔面から刺すような視線を送られれば、こちらは少なからず恐怖を覚えてしまう。仮に、民衆の心に貧しさからくる悪意が生まれたとしたならば・・・。そのような張り詰めた空気の中で数時間を過ごす気には、とてもなれない。

にわかに鼓動が速まった。明日、ガヤからバラナシまで移動できなければ、帰りの飛行機に間に合わせるため、バラナシを飛ばしてガヤから直接ニューデリーへ帰らなければならない。この旅のハイライトとも言えるガンジス河の風景を見ずにインドを後にするのは、いかにももったいない。何とかならないものか。

僕は、食い下がった。係員の答えがあまりに素っ気無く聞こえたことと、ここまでの旅で蓄積していたインド人への不信が、僕を強気にさせていた。

窓口のガラスを指ではじき、大きな声で言った。「Really!?」

係員は、初めて顔色を変えた。そう言うなら、こっちに来てみろ。彼は僕らをオフィスに呼びいれ、パソコンの画面を指差した。彼がもう一度、僕らの要求した列車の空席照会をする。画面には「Waiting」(空席待ち)の文字が表れた。

自分の怒りが根拠のないものであった証拠を突きつけられて、全身の力が抜ける思いがした。係員に謝り、和解の印にと握手を求めたが、彼は微笑みを浮かべながらも拒絶し、「ナマステ」 とだけ言った。

後味の悪さと、旅の前途への不安だけが残った。一縷の望みをかけ、泊まっているホテルに付属している旅行会社でも列車の空席照会をしてもらったが、やはり席は埋まっていた。列車がダメなら、バスがあるはず。だが、尋ねると「バスは走っていない」と無情な答えが返ってきた。

残された手段は、旅行会社の車のチャーターしかなかった。値段は、運転手の手配やガソリン代、高速道路代などすべて含んで6000ルピー(約12000円)。本来は観光用のため、片道ではなく往復分の運賃だという。背に腹は代えられない。断腸の思いで、翌日午前9時出発で予約する。

時計を見ると、午後1時を回っていた。朝から何も食べていない。ニューデリーと同じだ。カラに近いはずのバックパックのひもが、ずしりと肩に食い込む感じがした。





そろそろインドにヤラレそうになってきたら
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