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カンボジア4.ツールスレーン収容所跡

ベトナム、カンボジア
2008.09.15-21


09.18
ウドン一帯を見学した後、コースには入っていなかったツールスレーン収容所跡(S21)にも行ってもらった。この頃になると頭痛はピークに達し、歩くたびに頭がガンガンしはじめた。途中で地元の薬局に寄ってもらったものの、日本製の薬はなく、仕方なく我慢することにした。車の中で寝ていようかとも思ったけど、もう2度とプノンペンには来ないかもしれないと考え、体に鞭打ち見学した。

写真説明は後々兄さまがつけてくれます。姉さまはこういうのはちょっと苦手で…。

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高校の校舎を利用して設けられたという刑務所。鉄条網のすぐ外には民家があったけど、当時市民はすべて農村に強制移住させられていたので、おそらく無人だったのだろう。

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カンボジアに侵攻したベトナム軍がこの収容所を見つけたとき、死体が残っていた犠牲者を埋葬した墓。

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この木組みに人を吊るして拷問したという。

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収容者が生活した独房の跡。レンガで仕切られた空間は2畳ほど。この中でほとんど約束された死を待つ気分はどんなものだったのだろう。

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尋問室の跡。鉄製のベッドが真ん中にポツンと置かれただけ。壁には、ベトナム軍が侵入してきたとき、このベッドの上に横たわっていた最後の犠牲者の遺体写真。このような部屋が5、6室はあった。

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各棟の入り口には、こんな標識が。犠牲者に弔意を表す意味で、「笑うな」ということだろうか。

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ツールスレーン収容所で犠牲になった人たちの顔写真。老若男女を問わず収容されていたことが分かる。最も大きく引き延ばされた写真には、まだ幼い子を抱いた母親が写っていた。

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言葉もありません。

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独房のある棟の2階を見学して、上がってきたのとは反対側の階段を下りて帰ろうとした。すると、1階は行き止まりになっていて、その部屋におびただしい数の古びた衣類が放置されていた。おそらく、犠牲者のものだろう。きちんとした展示スペースにも衣類が展示されていたが、こちらはそこに収めきれなかったものだろうか。突然現れた光景に、言葉を失った。

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実際に使われていた拷問器具の一部。上の器具は、蹄鉄のような形の突起に人の手を固定して逆さ吊りにし、水を張って顔を沈めたという。下の器具の使い方は忘れてしまった。

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カンボジアは肥沃な土地が広がり、農民が困窮することもなかったという。そんな土地に共産主義を植えつけるには、恐怖政治しかなかったのか。ポル・ポト派の犯罪を裁く国際法廷は、現政権のしがらみもあってまだ審理に入れないでいる。この収容所をはじめ、カンボジア全土で苦しみながら死んでいった人たちの魂が、この国の行く末をじっと見つめている気がした。

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