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陽光 ~Bye Bye Ganges~ (10月5日)

朝早く、僕らは通りでサイクルリクシャーをつかまえ、ガンジス河へ向かった。

3回目のダシャーシュワメード・ガートは、静かに僕らを受け入れてくれた。河に沿って、北へ歩く。何人かが水の中に入っていた。ある人は沐浴をし、ある人は白い泡を立てながら体を洗っていた。

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ビデオカメラを回していると、沐浴をしていたおじさんから写真撮影を頼まれた。奥さんと2人でネパールからやって来たという。ヒンズー教徒の沐浴は厳かに行われるものとばかり思っていたが、おじさんの様子を見ると、どこか子どもが河に入ってはしゃいでいるようだった。


ガートで沐浴する人々

今回の旅のハイライトがやってきた。僕も服を脱ぎ、用意した海水パンツを履いて勢いよく水に飛び込んだ・・・・

と書きたいところだが、なかなかそうはいかなかった。旅に出る前は、ヒンズー教徒たちと同じように全身沐浴が当たり前と意気込んでいた。しかし、もし水でも飲んで腹を壊したりしたら、かけがえのない時間を費やして続けてきた旅の終わりが締まらないことになってしまう。路上で売られていたスイカを食べて下痢を起こし、最後の一日をベッドの上で過ごした数年前のタイ旅行の経験も、僕を慎重にさせていた。

僕は靴下を脱ぎ、素足を水に浸した。水深は数センチしかないはずなのに、すぐに足は見えなくなった。ぬめりの強い泥が皮膚にまとわりつき、その柔らかい感触と水の冷たさに、目の覚めるような思いがした。

これがガンジス河か。

平凡だが、足を浸して初めて体感したガンジスの感想だ。母なる大河ガンジスと自分が、27.5センチの足2本でつながっている。それを思うだけで、ずっとそうしていたかった。


河沿いにいくつかのガートを越え、マニカルニカー・ガートに着いた。


ここは、火葬場だ。焼かれた遺灰は、母なるガンガーに流される。


長年、煙にいぶされてきた建物の壁は、赤銅色に変わっていた。階段状のガートのあちこちに、遺体を焼くための薪が積まれ、そのうちの一つから白い煙が上がっていた。

近づこうとすると、男が近寄ってきた。「(火葬に使う)薪代を払ってくれ」と言う。無視して進もうとすると、男は食い下がってきた。だが、僕らの前を歩いていた白人のバックパッカーが彼に構わず白い煙のそばまでたどり着いたのを見ていたこともあり、僕らは男を押しのけるように先へ進んだ。男は、それ以上追ってはこなかった。

薪代を要求する男の存在は、ガイドブックにも書かれていた。薪代を払っても、純粋のその目的に使われるとは限らないという。詳しいことは分からないが、背後にヴァラナシで幅を利かせるマフィアのような存在もうかがわれるらしい。とにかく、薪代を払わずとも、マニカルニカー・ガートに入ることはできるわけだ。

煙のそばでは、火葬場の管理を担っているらしいインド人が数人、黙々と動いていた。僕らとバックパッカーの白人男性、そして、ガイドを伴った旅行者らしき女性が、その作業の様子を眺めていた。火葬されている遺体は、もうほとんどが灰になってしまっているらしかった。風向きが変わると、煙が僕らを包み込んだ。遺体が焼き尽くされてしまったためか、咳き込みながらかいだ匂いは、日本の田舎でよく見かける野焼きのそれとあまり変わらないのが意外だった。

引き返すとき、少し離れた場所から再びマニカルニカー・ガートを見た。この風景を日本に持ち帰りたい。カメラを取り出し、ファインダーは覗かずに腹の辺りで構えた。

さきほど、薪代を要求してきた男が寄って来た。「ここはカメラはノーだ。いま、撮ったのか?」

「ノー」と答え、すぐにカメラをしまった。ここは、男の言うとおりにしたほうがいい。マニカルニカー・ガートは撮影禁止だ。

歩いていくと、別の男が白人のカップルに何事か詰め寄っていた。男は、カップルの男性の手をつかんで引き寄せようとし、男性は声を荒げて振りほどいた。女性は、ひどく怯えているようだった。
また、薪代でも要求しているのか。僕はカップルに向かって叫んだ。

「大丈夫、その男は無視していいよ」

しかしカップルは、どうしようもない、と言った表情で首を横に振り、もと来た方角へ戻ろうとしていた。

僕は詰め寄っている男に近づき、背後から中指を立ててやっ

た。


白人カップルの女性が、少し笑ったような気がした。行儀の悪いやり方だが、このカップルがわずかでもマニカルニカー・ガートを見られない怒りを和らげることができたのなら、それで良いと思った。

郷に入らば郷に従え、という言葉がある。旅に出るとき、僕はある程度覚悟を決める。その国の食べ物を食べ、習慣に従ってこそ、旅の本当の面白さを味わえる。
ただ、金儲けのためにだまされたり、不当な要求をされたりすることまで甘んじて受け入れようとは思わない。それがインドという国の性質の一つなのだとしても。旅行者が自由に安全に旅をする権利は、その国の人たちの生活や文化を侵さず、正当な対価を払って行われる限り、損なわれるべきではない。

時計を見ると、午前7時40分を回っていた。このままガンジスの風に身を委ねていたかったが、僕らにはその前にどうしてもしなければならないことがあった。



ヴァラナシに着いた日、ブッダ・ガヤからの車の運転手に頼んで、ヴァラナシ駅に立ち寄った。ニューデリー駅で予約しておいたヴァラナシ~ニューデリーの夜行列車の発車時刻を確認しておきたかったからだ。
外国人窓口の時刻表を見ると、乗車予定のヴァラナシ19時15分発の列車はあった。安心したが、そこはインドのこと。念のため係員に尋ねようと、チケットを取り出した。

券面に印刷された列車名と日付、時刻を確かめ、体中の血の気がさっと引いた。

ヴァラナシ発の日付が、10月6日になっていた。

帰国の便がニューデリーを発つのは、7日の午前1時過ぎ。少なくとも、6日の夕方までにはニューデリーにたどり着かなくてはならない。ところが、僕の持っている切符では、ニューデリー着が7日の朝だ。そのころ、僕らの席を空けたままの飛行機は、東アジアを目指して高度1万メートルを飛んでいる。

すぐに係員にチケットを見せ、1日早い列車に変更を申し出た。見たところ、インド国鉄の係員はタイに比べれば勤勉と言える。それでも、日本のように乗客の要望をかなえるためのできる限りの努力が保証されているわけではない。僕の訴えを聞いた係員は、わずかだが同情の色を見せつつ「朝8時に窓口が開くから明日来い」と言った。発券業務がコンピュータ管理されているはずなのに、乗る列車の変更が当日でないとできないというのはおかしな話だ。もし明日、切符の変更ができなかったら、僕はインドから会社に、勤務シフトに穴を開けることの詫びの電話を入れなくてはいけない。

なおも食い下がると、係員は目の前のパソコン端末を操作し、僕が変更を希望する列車の空席を調べた。席はあった。しかし、予約するにはやはり明日の8時に窓口を訪れなければいけないという。もちろん納得はできなかったが、ここは上司や同僚の目線を気にせず日本へ戻れる希望がつながったことだけでも満足するべきだ、と自分に言い聞かせ、駅を後にしたのだった。



ダシャーシュワメード・ガートの入り口でオートリクシャーを探していると、昨日ホテルまで乗ったサイクルリクシャーのおじさんと再会した。彼は僕らが約束どおり自分の車に乗るものと思い込んでいるようだったが、一刻も早く駅に着きたい僕らにとっては、オートリクシャーの方が魅力的だった。だが、どうしたことか、オートリクシャーがなかなかつかまらない。仕方なく、おじさんの両足に命運を託すことにした。

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ヴァラナシ駅

おじさんのひと漕ぎひと漕ぎが、スローモーションを見ているように長く感じられた。僕らの気持ちを感じ取ったのか、おじさんは地元の人しか知らないような路地を抜けて近道をし、ガートから20分ほどで駅に着いた。用事が済んだ後も利用してくれとせがむおじさんへの別れの言葉もそこそこに、僕らは小走りに窓口へ向かった。あらかじめ選んでおいた列車名と行き先、発車時間などを用紙に書き込み、係員に差し出す。キーをたたく乾いた音が、室内にこだました。

席はあった。

5日13時45分発。ニューデリーには翌6日午前7時前に着く。体中の力が抜けていった。



列車が出るまでの数時間、僕らはもう一度、ガンジス河に会いにガートへ向かった。

ハリスチャンドラ・ガート。ヴァラナシでもう一つの火葬場だ。

オートリクシャーを降りて河へ向かう道沿いには、そこかしこに火葬に使う薪が積まれ、男たちが黙々と働いていた。道端に立っていた少女にレンズを向けると、うれしそうに微笑んで、ポーズを取ってくれた。

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ここでも、煙が上がっていた。炎と煙の中から、まだ人間の形をとどめた足の一部が突き出ていた。有名なマニカルニカー・ガートの陰に隠れているせいか、旅人らしき存在は僕ら以外に見当たらず、おかげで薪代を求められることもなく、川風に煙がたなびいていくのをのんびり眺めることができた。

インド人の男が、話しかけてきた。この火葬場のオーナーの息子だという。彼は、死者の身分によって火葬される位置が異なることを教えてくれた。ガートの中でひときわ高く造られた祭壇のような場所は、カースト最高位のバラモン。それに次ぐ中位のカーストは、階段状になったガートの高い場所。そして、さらに身分の低い人々は、階段の下方の最も河に近い場所で灰になる。火葬には金が必要で、バラモンは6000ルピー、以下4000、3000と値がついているという。

では、僕らのような外国人、つまり異教徒はどうなるのか。ガートをのぼりつめた場所に、煙突が2本突き出た火葬施設があった。「エレクトリック」と息子。せっかくガンジスのほとりで死を迎えても、ヒンズー教世界に属さない者は、電気で制御された炎で焼かれる。煙突にくっついたすすを見ながら、切なさとおかしさがごちゃ混ぜになったような、妙な気分になった。

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ハリスチャンドラ・ガート。煙突のある建物が火葬施設

しばらく、河沿いを北へ歩いた。ある人は船に乗り、ある人は洗濯をし、ある人はただその辺をぶらぶらしていた。人々が行きかう中、牛たちは間の抜けた顔で寝そべり、自分の時間を楽しんでいた。どこまでも空は広く、水の流れは穏やかだ。水面を渡る風が、汗を含んだ皮膚に心地よい。弓なりの川辺に並ぶ建物は、遠くへ行くほど霞み、蜃気楼のようにも見える。

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牛の糞を乾燥させて燃料にするのだろうか


ハリスチャンドラ・ガート周辺の様子


マニカルニカー・ガートを離れた場所から撮影。ピンク色の塔のような建物の向こう側がガート


たった2日だったが、ヴァラナシではいろいろあった。けれども、最後の最後にゆっくりと、ガンジス河との会話を楽しむことができた。もう一度、ここに来たい。心からそう思えた。今回の旅で、思い残すことはなくなった。

河を離れる間際、ガートの最上段で、ガンジス河を振り返った。陽光を受けてきらめく川面がまぶしかった。


バイバイ、ガンガー!

僕らは笑顔で手を振った。




















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アジア大好き。いつも格安チケットで行く貧乏旅行。もちろん国内旅行も大好き。これまでの旅の記録をのんびり綴る不定期ブログです

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