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余熱 ~大都会デリー~ (10月5・6・7日)

ホテルでシャワーを浴びた後、僕らはデリー行きの夜行列車に乗るため、ヴァラナシ駅へ向かった。

夜行とはいえ、発車時刻は13時45分。デリー着は翌6日の午前7時前だ。約17時間の長旅。ただ、ガヤに着いてからブッダ・ガヤ、ヴァナラシと苦労して移動してきた経験からすれば、寝ていれば目的地まで到達することができると考えるだけで幸せなことに感じられた。

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ヴァラナシ駅構内


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駅の中にもおなじみの牛さん


座席の印刷された切符を見て、乗る車両を探していると、おじいさんが声を掛けてきた。紙を差し出してきたので見ると、たくさん書かれた名前の中に、僕らの名前もあった。どうやら、乗客名簿らしい。おじいさんは、お前らの乗る車両はこっちだ、と僕らを手招きして先に歩き出した。しかし、おじいさんは駅員の制服姿ではなく、白い布をまとっただけの街角でよく見かける普通の服装をしている。半信半疑になりながら、自分でも車両を確かめつつおじいさんの後に続いた。
おじいさんは車両に乗り込んできて、僕らのコンパートメントの前までやってきた。切符と照らし合わせて、間違いはない。一応、お礼を言って席に座る。おじいさんは、微笑みを浮かべながら立ちつくしたまま、なかなか出て行こうとしない。

やはり、そうか。

僕はゆっくりと彼に話しかけた。「ホームには、他にも多くの外国人がいます。彼らが迷わないよう、助けてあげてください」

おじいさんは、笑顔のままうなずくと、すぐに立ち去った。おそらく、どこかで乗客名簿を手に入れ、ホームで外国人を探して寝台に案内し、チップをもらおうと考えたのだろう。もう、それぐらいのことでは驚かないし、腹も立たなかった。ガンジス河の淀みない流れのように、自然に、しかしはっきりと自分の考えを伝える。そうすれば、向こうも無駄な時間を浪費するようなことはせず、次の獲物を探しに行くのだ。

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コンパートメントはデリーからガヤまで乗った列車と同じ4人用で、2人用の寝台が向かい合わせになっている。帰りの列車では、2組の「同居人」と付き合った。

1組目は、ビジネスマンの男と若い女の2人連れ。男はドイツに本社のあるバイエル製薬に勤めているといい、車内にパソコンを持ち込んで盛んにキーをたたいていた。女は親類だと言ったが、2人の行動を見ると、それは到底信じられなかった。彼らは初めのうちは別々の寝台にいたが、夜になると女が男の寝台に入り込み、毛布を引きかぶって何事か話をしていた。僕は向かい側の寝台で寝ていたのだが、女の声が妙に艶かしく、まるで恋人同士がベッドの中で会話しているかのようだ。だいいち、親類であれば、同じ寝台で寝ることもなかろうに。おかげで、僕は横になってもしばらく眠ることができなかった。

彼らがラクナウという駅で降りてしまうと、すぐに男が1人乗ってきた。2組目の客は携帯電話関係のエンジニアで、カシミール地方へ向かうという。彼は僕らが使っていた日本製のボールペンに興味を示し、自分のと交換してくれとねだってきた。いい記念になると思い応じたが、彼のボールペンは帰国後数日でインクがでなくなってしまった。今頃、交換したボールペンはカシミールの冷気に凍えているのだろうか。

これらの同居人(1組目は主に男)とはカタコトの英語で雑談したが、印象深かったのは、いずれも中国とパキスタンを敵視していることだった。国際情勢の報道などに照らせば、両国に対するインド人の覚えがよくないことは予想できるが、実際にインド人の生の声を聞いて、やはり根深い感情なのだと実感できた。

カシミール地方へ向かうという男は、イスラム教徒だけでなく、イスラエルにも敵意を抱いていた。理由は「人を殺す」からだという。同時に、彼は日本について「日本は人を殺さない。だから、いい国だ」と言った。自衛隊の海外派遣は行われ、目と鼻の先のインド洋では護衛艦が給油活動をしている最中だったが、彼は、実際の戦闘には参加していないという点で、日本の姿勢に好感を持っていたのだろう。たったこれだけの言葉だが、日本に対する外国人の考えを生で聞くことはとても有意義な体験だ。もっと英語ができれば、さらに掘り下げた会話ができたのに、と残念でならない。


ヴァラナシ~デリー間のとある田舎駅




ニューデリー駅に着いたのは、定刻より遅れて6日午前8時ごろだった。

空港までのリムジンバスが出る場所を確認してから、オートリクシャーに乗った。行き先は、ラージパット・ナガルと呼ばれる市場。インドの活気あるマーケットを、一目見てみたいと思ったからだ。

市場には30分ほどで着いたが、まだ多くの店は開いておらず、人影もまばらだった。まずは朝食を取ることに決め、近くのマクドナルドに入る。
牛肉が食べられないヒンズー教徒と、豚肉が食べられないイスラム教徒が多数を占めるインド。ハンバーガーの中身は、ほとんどがチキンだった。僕は、インドらしいネーミングが気に入ったという理由だけで、

マハラジャ・バーガーセットを注文した。

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それにしても、マクドナルドの店員教育というのは、どこの国でも関心するほど行き届いている。中国でもタイでも、そしてこのインドでも、マクドナルドで不愉快な思いをしたことはない。ここに挙げた国々では、客の立場で代金を払っていても、サービス提供者からぞんざいに扱われるケースが少なくない。しかし、マクドナルドときたら、きちんと制服を着た店員が、列で待っている客にわざわざ声をかけて注文を聞き、釣銭をごまかすことなく返し、床やテーブルの掃除までこなす。だからマクドナルドを見習え、なんて野暮なことは言わないが、少なくとも日本の商習慣の中で育ってきた人間としては、肩身の狭い思いをせずにポテトを口に運べることに妙な安心感を覚えてしまうのだ。

マハラジャ・バーガーで腹が膨れたところで、市場の見物に出かけた。ラージパット・ナガルは、観光客向けの宿も並ぶニューデリー駅前のメイン・バザールとは違い、デリー市民が日用品を買いに来るごく一般的な市場だという。服を仕立てる布地を売る店や、スカーフなどを売る店、靴屋などが路地3、4本分の空間にびっしりと並んでいた。

そのうちの一つで、アパートの部屋でも使えそうな座布団を見つけ、値段交渉をした。これまでの経験で、僕らの頭の中には、市場で値切る場合はまず店側の言い値の半値ぐらいを要求し、そこから双方が歩み寄っていく「型」のようなものが出来上がっていた。もし、相手がなかなか折れなかったら、一度帰るふりをする。そうすれば、向こうは「待て待て」と言ってさらに値を下げてくる。店側は結局、自らの利益を確保できる値段より安くは値切る気がないから、買う気のある客を逃すより、希望通りの値段でなくても売ったほうが儲けにつながる。こちらも店から最大限の値引きを引き出したという感触を得られるから、納得して買い物ができるのだ。

この店でも、同じ戦法を取った。しかし、ここの店主はなかなか頑固で、言い値より少し下げたものの、その後はまったく交渉に応じてくれない。それどころか、買わないのなら帰れ、とばかりに相手にすらされなくなってしまった。買う素振りを見せたのに、値段交渉で相手が先にそっぽを向けたのは、初めての体験だった。他の店でも、無視まではされずとも、値段交渉をあまり快く思っていない印象を受けた。
僕らは、アジア的な臭いを求めて市場にやってきたが、必ずしもその狙いは当たっていなかったということだろうか。インドは経済発展を続けている。デリーという大消費地で、一定水準の経済力を持った住民が買い物を楽しんでいるとしたら、店側は特定の客のために必要以上に値切ってやる必要はない。

品物を買うのに、資金力と同時に「交渉力」という多分に人間くさい要素も求められ、そこかしこで丁々発止のやり取りが繰り広げられる市場の風景は、首都デリーでは薄れつつあるのだろうか。そんな勝手な感傷に浸りつつ、市場を後にした。

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インド門とコンノート・プレイスというデリーを代表するランドマークを横目に、僕らはオートリクシャーでニューデリー駅へ戻った。夕暮れの淡い光線の中に、メイン・バザールの灯りが煌々と輝いていた。狭い通りは人と車、リクシャーであふれかえり、ガヤへ出発する前に見た昼間の顔とは別人のようだった。

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僕らは、4日前にチャパーティーを食べた店で、インド最後の晩餐をとった。
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空港へのリムジンバスの停留所は、駅の反対側にあった。正確に言えば、バスが止まるであろう場所、だ。朝、市場へ向かう前に下見をしたとき、その場所で男性がバスに乗るのを見た。僕らは念のため、通りがかりの人にバスが止まるかどうか尋ねた。その人は近くにいた警官らしき制服姿の男を連れてきて、その男は確かにここにバスは止まる、と言った。道端で軽食の屋台を出していた少年にも尋ねたが、彼もここで待っているように、と目と指で合図した。

立ち続けて、1時間が経とうとしていた。すぐ隣のバスターミナルからは頻繁に路線バスが出発していったが、空港行きのリムジンバスはまだ現れなかった。屋台の少年は、再度僕らに「ここで待っていろ」と念を押した後、そのバスターミナルからバスに乗って帰ってしまった。少年が後ろで商売をしている間は、バスが来ることを信じる気持ちが強かったが、心の支えがなくなってしまうと、途端に不安が胸を覆った。

背に腹は代えられない。僕らはオートリクシャーをつかまえ、「インディラ・ガーンディー国際空港まで」と告げた。

空港に行く途中、反対車線は大渋滞を引き起こしていた。リムジンバスがやってこなかったのは、これが原因だったのかもしれない。ともかく、僕らは近代的な高速道路の高架上を、オート三輪を改造したような形のオートリクシャーで空港へ向かっていた。その光景は、新興国インドのいまを象徴したものであったかもしれない。うなりを上げるエンジン音を聞き、路面の凹凸に正直な揺れに身を任せながら、僕はこの国から日本へ帰っていくことの意味を思った。ほっとしたような、それでいてどことなく寂しい気持ちがした。

空港に着き、ターミナルビルのドアを開けると、エアコンで冷やされた空気が身を包んだ。全身にこもっていた熱が、次第に冷めていった。ベンチに腰掛けて帽子を脱ぐと、染み込んだ汗の跡がくっきりと浮かんでいた。
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(完)

















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アジア大好き。いつも格安チケットで行く貧乏旅行。もちろん国内旅行も大好き。これまでの旅の記録をのんびり綴る不定期ブログです

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