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台湾最後の日

台北に戻って宿を探す。3軒目でようやく決定。台北駅の近くで一人250元のドミトリーだ。英語オンリーだったけど、イギリス人のほか、ドイツ人、韓国人が宿泊していた。全員長期滞在者っぽい。

滞在者の中で正体不明だったのは、北京語ベラベラの白人だ。宿を訪ねた際に出てきて、留守だったオーナーと携帯で話をつけてくれた。しかも北京語で。

初めは英語で話してたから違和感なかったんだけど・・・。息子か?養子か?とも思ったけど、どうやら違うみたいだ。あの若さでどうすれば流暢なバイリンガルになれるのか不思議だ。聞いてみれば良かった。

ビックリしているうちにオーナーがやってきた。部屋を確認し、とりあえず1泊分の料金とデポジット2百元を支払い、宿を確保。

身軽になり、早速台北の町へ。MRTを乗り継いでお目当ての食堂で夕食を済ます。好きな物を好きなだけ食べて後で食べた分だけ支払うという仕組みだったけど、作りたてではないので味は今一でした。

続いてこの旅で最後の士林夜市へ。ひと通り見た後、お土産とビールを買い、宿へ戻る。ドイツ人とイギリス人が起きていて、ソファーで話しこんでいる。姉さまたちはお風呂に入った後、隣りのテーブルで明日の予定を練る。明日は各自で自由行動です。






最終日の朝、台北駅でパンを買って食べる。故宮へ向かう兄さまを見送った後、歩いて問屋街へ向かう。結構長時間見て回ったけど、気に入った物がなかった。洋服類は確かに安いけど、品質はまったく良くない。だったら日本で買った方がいいもんね。

行き当たりばったりで歩いていたら、かなりの距離を歩いていたらしい。足が痛くなってきた。何の収穫もなく、待ち合わせ場所の台北駅へ戻る。こんなことだったら気になっていた温泉にでも行けばよかった・・。。

ホームでうたた寝しながら兄さまを待つ。旅の疲れがたまっていたのか、兄さまに声をかけられるまで気付かず寝てました。

宿の近くで良さそうな店を見つけたので、そこで夕食をとることにした。2種類の鍋を楽しめ、肉や野菜やアイスや果物やご飯が食べ放題だ。味はそこそこだったけど、しこたま食べて2人で750元ほどだった。

宿に戻ると珍しくオーナーがいた。1泊追加分の500元(2人)を支払い、明日8時30分にチェックアウトすることを伝えると、帰っていった。

朝、時間ぴったりにオーナーのおばさんが部屋をノックした。200元のデポジットと、昨日余分に渡してしまっていた宿泊費を返してくれた。昨日と違い、今日は暖かくなりそうだ。名残惜しいけど帰国時間だ。

オーナーが教えてくれた近くのホテルの前で空港行きのバスを拾う。これなら一人110元ほどで空港まで行けるのだ。一週間なんてあっという間だな。7日もあれば台湾を一周でるかもしれない、なんて半ば本気で思っていたのがバカらしかった。


最終日をたたみかけて書いてしまいました。反省。
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日本語を話すお婆さんと

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水里の駅。小さい町の割には立派な駅舎だ。


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駅から水里の町を望む。


1時間ほどで水里に到着。駅で切符を買おうとしたのだけど係員が不在。こういう時は台湾人ののん気さにイライラする。兄さまが待合室の掃除をしていたおばちゃんに聞いてみるけど、どこへ行ったのか分からないという。掃除の邪魔にならないように隅で待っていると、係員がホームから姿を現した。

あー来た来た。

「この人たち切符を買いたいんだって」。掃除中のおばちゃんが声をかけてくれた。11時台の切符を手に入れ、駅を離れて町の中をぶらついていると、屋台街に迷い込んだ。どこでも売ってる物は一緒だけど、端っこにソーセージ屋らしき店を見つけた。

そこの屋台のおばちゃんは日本に行ったことがあり、富士山を見たことがあるそうだ。親日家なんだね。しばらくするとおばちゃんが店の奥から一人のお婆ちゃんを連れてきた。80歳くらいで、とても優しそうな顔をしている。おばあちゃんは、

「何が欲しいの?これは二つで○○元ね」と、日本語で話し掛けてきた。

年齢からして日本語教育を受けた世代かな。それにしても発音がとてもキレイだ。おばあちゃんはソーセージを買おうとしていた姉さまたちを見て、さっさと自分で支払ってしまった。そして「それ持ってこっちに来なさい」と、となりの焼き芋屋に入っていく。

どうやらソーセージ屋は隣の店で、焼き芋屋がお婆ちゃんの店みたい。椅子を持ってきて、自分らを座らせ、ここで食べろ、という。そしてお婆ちゃんはとても懐かしそうに色々話してくれた。


「日本人の友達はみんな内地(日本)に帰ってしまったよ。すごく寂しかった」

「私は日本人が好き。でも今友達に会っても、もう分からないかもしれない」

「日本語、ほとんど忘れてしまったし…」

「日本語、ほとんど忘れてしまったし…」

と、最後のフレーズを寂しそうに何度も繰り返す。


自分が養子にもらわれたこと、子どもが5人いること、中国には2回行ったけど日本にはまだ行っていないことも話してくれた。店番をしていた娘さんは手を休め、何を話しているか分からない母親を微笑みながら見つめている。

ソーセージを食べ終わると、今度はお店のお芋をご馳走してくれた。お婆ちゃんは日本人に話し相手になってもらうことが嬉しかったのかな。

「ありがとう」と、遠慮なく頂くことにした。1時間ほど話し込んでいたと思う。列車の出発時間が近づいてきたため、お婆ちゃんにさよならを告げる。おばあちゃんは少し残念そうにお芋を2つ、袋に入れて持たせてくれた。その上、駅の見える場所まで送ってくれた。

駅に着いて思った。おばあちゃんと3人で撮った写真を届けるため、住所を聞いておけばよかった、と。名前すら聞いていなかった。



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水里の駅の中。ホームから駅舎を見る。


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水里で電車を待つお年より。



どこか懐かしい雰囲気を漂わせた列車が到着した。車内は綺麗で、両サイドに向かい合うように椅子が備え付けられている。列車はヤシの木のアーチをくぐり、点在する駅に停車しながらひた走る。姉さまたちはニ水で乗り換えだ。

水里を離れてから、もしあのお婆ちゃんが今日本に来たらどんな風に思うだろう、とずっと考えていた。おばあちゃんが抱き続けてる日本や日本人のイメージって、きっと統治時代のものだろうから。何だかおばあちゃん、浦島太郎みたいだな。

勝手ながら、お婆ちゃんのその「日本人が好き」という思いは心に秘めたままで、日本には来ない方がいいと思った。今の日本にはお婆ちゃんに目にして欲しくない荒んだ部分が沢山あるような気がする。

列車はいつのまにか二水に到着した。意外と早かったな…。あっ、ボーっとしてたから景色撮るの忘れちゃった。

ん?まだ何か忘れてません?

もっと別のこと・…

あっ!しまった!!

「ちーちーぱっぱ、ちーぱっぱ」歌うの忘れてた!!



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車内から集集(ちーちー)駅を撮影。

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集集駅で電車を待つ親子。

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線路沿いにはヤシの木がたくさん植えられていた。

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そして、乗り換えをする二水の駅に着いた。

寺になった社

<寺になった社>

水里へ向かうためバスを待つ。ところが何を血迷ったのか、反対の埔里(ほり)へ向かうバスに乗てしまった。ホーリーモーリーですわ。運転手にそれとなく訴えてみても「あー」とがっかりされるだけ。2人だけのために戻ってくれるわけないか泣き顔

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目的地とは違う埔里の町に到着。


もう2時発の集集線には間に合わない。後悔しても仕方ないので、とりあえず埔里で下車し、近くのファストフード店で緊急対策会議を開く。ガイドブックをめくっていると、埔里の先に日本統治時代に日本人が原住民に襲われたという場所、「霧社」を見つけた。何となく気になる。どうせここまで来ちゃったから行ってみよう!

霧社方面行きには2時5分のバスがあったけど、すごい乗車率だ。ハンドルを切ったら人の重さでバスが倒れてしまいそうなくらい。そのバスを見送り、3時10分のバスにのることにした。一人75元だった。

バスは峠道をぐんぐん上っていく。所々で山や家屋が壊れていて、99年の集集大地震の傷あとが生々しい。山肌に民家が見えてきた頃、ようやく霧社に到着した。バス停横のコンビニでジュースを買って歩く。

コンビ二から出ると、酔っ払い?のおじさんが近づいてきて、刀で人を刺す仕草をしながらヘラヘラ笑った。

それって「霧社事件のこと?」いきなりビビルんですけど苦笑い

霧社事件は未だ人々の心に深く刻み込まれてるらしい。ここの人たちはこの事件についてどう思ってるんだろう。日本人をどう思ってるんだろう。日本人を襲った現住民族は今でも「英雄」として祭られているらしいけど。

しつこく話し掛けてくる酔っ払いおじさんを無視し、神社だった寺院に向かう。カラフルに彩られた灯篭、角のある鳥居…不思議な空間ですが、神社の面影は残っている。
裏手には大きな寺院が建てられている最中だった。これが完成すれば神社の面影すら消えてしまうのかもしれない。

折り返して裏道を歩いてみたけど、地震で崩れた跡しかない。ガイドブックによるとここには当時日本人の小学校や保育園があったみたい。引き返し、霧社事件が起きた現場(現在は消防署)を通り、事件の首謀者が祭られた公園を訪れる。原住民が日本人を襲う場面が銅像になっている。小さな子どもまでが日本人に石を投げつけている。リアルだ。

路を挟んで反対側の小さな丘を歩いてみた。犠牲となった日本人のお墓があったみたいだけど、「祭られていた」という形跡はない。桜や梅の木が植えられ、石のテーブルと椅子があるだけ。墓石も慰霊碑もなかった。


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霧社の元神社へ続く道。この手前奥に不思議空間が存
在する。


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元神社のとりい。階段はボロボロで廃れた雰囲気がある。


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元神社の元灯篭。こんなにカラフル
に塗られちゃって。


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元神社境内から霧社の町(一部)を見下ろす。



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銅像のある公園の入口。誰もいなくてとても静か。


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子どもまでもが日本人に向け石を投げつけている。


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霧社事件で原住民をを率いた英雄
の像。名前は忘れた。



しばらく日本人墓地跡で休み、帰路につく。空が茜色に染まる頃、学校からチャイムが聞こえた。

「キンコンカンコーン、コンキンカンコーン」

ん?小学生の頃、田舎の学校で流れていたチャイムと一緒だ。

続いて下校の音楽が流れ出す。曲名は知らないけど、これも聞いたことがある。とっても懐かしいメロディーだ。

台北にも学校が沢山あるけど聞いたことがない。霧社の学校だけがこのメロディーを採用しているのかな?何だか不思議な気分になった。


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↑霧社事件の現場となったと言われる小学校跡地。今は
消防署になっているらしい↓
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日本人犠牲者の墓地跡。今は公園になっていた。
墓だった痕跡はまったくない。


午後6時、バス停でバスを止め、埔里まで戻る。来た時のバスとは違い、ちょっと小さいけど綺麗なバスだ。乗客はほかにいない。「埔里まで」というと「OK」と乗せてくれた。

しかし、おじさんの運転テクニックはすさまじかった。前に車がいると抜かなくてはいられない性分みたいで、次々と抜いていく。しかも、山道の下り坂で、対向車が見えてないのに抜くったら抜くったら。2台3台抜きは当たり前。5、6台いても、平気でパッシングし、反対車線にはみだし、抜けるだけ抜く。途中で対向車が見えると、速度を緩めていったん本線の車と車の間に割り込み、また抜くチャンスをうかがってる。

こっ、怖い。急いでいないことをさり気無く伝えてみたけどダメ。聞く耳もたない。途中、運転手が何か話しかけてきたけど、前を向いて運転して欲しいので無視し、後ろの席に移動した。たぶん「どうだ、すごいだろ。早いだろ」とか言ってたんだろうけど。


最終的に12台抜き、埔里に到着。値段を聞くと、一人100元という。あれ?行きは75元だったよ。兄さまがそう言うと、あっさり値下げした。本当はこっちが慰謝料欲しいくらいだよ、おっちゃん。いくら速くてももう乗らないからね。


明日のバスの時刻をチェックし、さっそく宿探しに。安宿を1、2件あたってみるけど、部屋が今いち。ひとまず屋台で夕食を済ませ、中級ホテルを訪ねる。ガイドブックに書かれていた値段と違い、とっても安い!オフシーズンだからか?とも思ったけど、どうやらこのガイドブック「○○の○き○」は4人の値段をツインの値段と間違えて掲載しているみたい。

ぶつぶつ文句をいいながらも、ホテルが決まってひと安心。ツインの部屋はあいてなかったけど、4人部屋をツインの値段で使わせてくれた。



翌朝宿を出たのは8時少し前。水里行きのバスの時刻表をもらい、出発。ボーっと時刻表を見ながらバス停に向かって歩く。

ん、ちょうど8時ジャストの水里行きがあるね。でももう今8時だから、次は、と…んん??9時台がない!
 
「何で?8時ジャストはあるけど、9時台がないよ、次は10時だよ!」

ガーン。バス停まで走っても5分はかかる。8時のにはもう乗れない。仕方なく屋台でヒマをつぶすことに。2時間もどうするんだよぉ。もったいないな…。

朝飯を食べたばかりなので満腹状態で屋台をボーッと歩いた後、何気なくバス停を覗いてみる。すると、なんと8時のバスがまだいた!まだいた!!30分も過ぎてるのに!!

まだ乗れる?ときくと、「もちろんだ」という。あぁ何て幸運。朝食をゆっくり食べ、屋台をゆっくり見て、マイペースで来て、8時のバスに間に合った。こういう時だけ台湾人ののん気さに感謝する。


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埔里の屋台で見つけた鳥さん。ご愁傷さまです。


衝撃のベンチ

<衝撃!のベンチ>

九イ分から再びバスで台北まで戻る。そのまま今度は電車で台中へ。コンビニで食料を蓄え、ホームで電車を待つ。座席に座れた数十分のうちにとりあえず食料を胃袋へ流し込む。途中からはずっと立ちっぱなしだったから、バスにすればよかったと激しく後悔した。

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台中の駅。夜なのであまり人はいない。静か。


電車から降り、おもむろにホームに視線を落とすと…

え?

トイレがホームに・・・・いや、ホームにトイレが・・・。いやいや、これは・・・


ベンチだ!ベンチだ!!ベンキのベンチだ!!!
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兄さまと姉さまの目の前で、台湾人のお姉さんが何の躊躇いもなく便座…じゃないベンチに座った。






台中の駅に到着するも、ベンキベンチに気力を奪われ、そのまま駅前の宿にチェックイン。屋台で夕飯をとり、ホテルで休む。ホテルの部屋にはテレビが備え付けられていた。テレビのある部屋は久しぶりだ。スイッチを入れると「金ちゃんの仮装大賞」をやってた。

明日は「ちーちー線(集集線)」に乗り、「ちーちーぱっぱ、ちーぱっぱ」を歌う、という、どちらかというとどうでもいいミッションを思いついたので、早めに寝る。


<日月潭へ>
翌朝、バスで日月潭(にちげつたん)を目指す。バス停近くの屋台で忙しなく朝粥を食べ、何とか出発に間に合わせる。バスには修学旅行生なのか、学生がたくさん乗っている。元気な話し声を聞きながら車窓を眺める。景色はどんどん山深くなっていく。

ヤシの木も増えてきて、まるでヤシのアーチをくぐってるみたい♪台北とは明らかに違う風景。学生軍団は途中の民族村で降り、車内はいっきにガラガラになった。

しばらくして日月潭のバス停に到着。三蔵法師の遺骨が納められている(墓がある)という寺に行こうと思ったのだけど、適当な時間のバスが見つからず、断念した。今日はあくまで「集集線に乗って歌うこと」が目的だからね!


話は変わるけど、あの西遊記で有名な三蔵法師がまさか台湾に眠っているとは思ってもいなかった。三蔵法師って大陸の人ではないの?当の本人はそれで納得するのかね。こんな縁もゆかりもない土地に自分が眠っているとは思ってもいないよね、きっと。

どこかで読んだけど、三蔵法師の遺骨は一時日本に移されたこともあったらしい。たぶん。気になる人は調べてね、姉さまは案外適当だから。


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三蔵法師の眠るお寺へ行けないかわりに、近くのお寺で時間をつぶす。名前は忘れちゃった。ちなみに中央で赤いバックパックを背負っているのは兄さま。


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寺の中から日月潭の湖が見える。大きくて立派な寺だった。湖は人造湖で、日本の統治時代に造られたとか…。


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台湾の人々は本当に皆熱心にお祈りする。

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寺の中にはこんなにキレイな花が咲いてた。

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「鈴が鈴なりっ」苦笑い

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目がチカチカします。

すごいにほんじん

<すごいにほんじん>
早朝小雨の降る中、バスで九份(きゅうふん)へ向かう。ガイドブックにあったバス停へ向かうと、ちょうど九份行きのバスが停車している。ラッキー。コンビニで朝飯を買い、急いでバスに乗り込む。「車内飲食不可」の漢字表示を読めなかったことにし、一番後ろの席でムシャムシャ食べていると


「さき?あと?」


と、何やら乗車口付近から日本語が聞こえてきた。覗いてみると、2人の若い日本人女性が運賃の支払い箱を指差しながら運転手に話し掛けている。どうやら料金は先払いなのか後払いなのか聞きたいらしい。


「だから、先なの?後なの?」


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でも当の運ちゃんは彼女らが何を言っているのかわからず、困惑している。ここは日本じゃないんだから当たり前だ。年寄りならまだしも、運ちゃんは若い。台湾人全てが日本語を話せると思っているのかな?と思いながらも静観。その間も、二人はひたすら続ける。


「お金は先に払うのか、後でいいのかって聞いてるのっ!!」



教えてあげた方がいいかな、と立ち上がった時、運ちゃんが笑顔を浮かべた。やっと意味が分かったらしい。

それにしても外国でこんなに堂々と日本語だけで突き通そうとする人を初めて見た。英語さえ出来れば世界中どこででも生きていけると勘違いしている英語圏人並に堂々としている。そんなこんなでその娘たちを乗せ、バスはようやく動き出す。雨は九份に近づくほど激しくなってきた。

バスは1時間ほど走り、くねくねとした山道を登った所で停車した。その先に観光地の入口がある。バスから降りたものの、傘を持ってこなかったから身動きがとれない姉さまたち。濡れながら近くのコンビニに飛び込み、傘を買った。

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九份の町並み。生憎の雨で寒かったけど、情緒があるね。


九份の観光名所は山の斜面にあった。小さな路地にみやげ物屋がずらりと並ぶ。店の軒と軒との間から雨が吹き込み、傘があっても足元はびしょびしょ。それに山の上だから寒いったら寒いったら。しかも日曜日で台北人の観光客も多く、ゆっくり観ている暇はない。ひと通り見た後、食堂で昼食をとることにした。

注文したのは、恒例の「魯肉飯」と「ビーフン」「つみれ入りスープ」。やっぱ魯肉飯は美味い。昨日士林で食べてから、すっかり虜になっていた。正体は、ちょっと甘く煮たそぼろかけご飯といったところね。

「魯」って書いてあるからてっきり魚肉だと勘違いして、「さかな肉めし♪さかな肉めし♪さかな肉めし食べたいなぁ♪」とか言ってたけど、兄さまに否定された。本当は「ルーロンハン」と読み、肉は豚肉らしい。ちょっと恥ずかしい汗;

ひたすら魯肉飯を食べつづけていると、相席していた台湾人の家族が、チラチラとこちらを見ているのに気づいた。あっ、お行儀がわるかったかしら?ごめんなさい。ニコッ。すると、

「○▼□ま?」

ん?

・・・
 
わかんない~(涙)



でもこういう時の新兵器は、中国しゅきしゅき兄さまだ。中華圏を旅する時はなかなか重宝する(笑)

「ねぇ、あの人今何って言ったの?私を見て何って言ったの?」

「ほ?」

食べることに夢中になってた兄さまも聞いていなかったらしい。もう一度家族のお父さんに顔を向けると、再び、


「○△■3★アッタトサ?」と話し掛けてきた。


「良かったらおかずを一緒にどうぞ」だって。


え?そうなの?なんだ、お行儀の悪さを叱ってた訳じゃなかったのね。そのわりにはやけに笑顔だったと思ってたけど。きっとこっちの食卓が惨めだったから声をかけてくれたのね。


「ところで君たちは●◇◇〓▼□的◎〓マ?」とおじさん。

「えぇ、◇魚×豚●△羊◎×豚◆○牛■なんですよ。それで●△■」と兄さま。

「ほほ~、そうかね。それじゃあ●×△■だねぇ。ははは」とおじさん。


ニコニコニコ(兄さま)

ニコニコニコ(おじさん)


全く理解不能な姉さまとは対照的に、兄さまはとっても楽しそう。こういう時、少しでも言葉がわかればいいのにな、と思うのでした。



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↑九份の有名な石段。映画「非情城市(ひじょうじょうし)」の舞台になった。

ところがこの「非情城市」という映画、気になったので日本に帰って探してみたのだけど、全く見つかりませんでした。DVDやビデオの販売店はもちろん、ネットでもレンタル店にもありませんでした…。
レンタル店に至っては別の店舗にあるかもしれないということで探してもらったのですが、全て×。

「ない」となると余計気になって仕方ありません・・・。




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Author:barung
アジア大好き。いつも格安チケットで行く貧乏旅行。もちろん国内旅行も大好き。これまでの旅の記録をのんびり綴る不定期ブログです

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