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ベトナム6.メコン

ベトナム、カンボジア
2008.09.15-21

09.20
朝、最後の食べ収めと、おばちゃんの屋台で麺を食べる。姉さまは昨日寝られなかったのやら何やらで、今いち体調が優れなかったけど、予定通りメコンクルーズへ向かった。

カンボジアで知り合ったシンガポールからの一行に偶然再会し、彼らもメコンクルーズへ行くことが判明したけど、残念ながら別のツアーだった。


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メコンクルーズへ向かうバスの中。再び1時間30分ほどのバスの旅だ。


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途中、ガソリンスタンドで休憩した。姉さまはこの時既にちょっとだるかった。


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ミトーのメコンクルーズ出発点に到着。晴れていてよかった。


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クルーズでまわる一帯の略図。


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35人乗りくらいのエンジン付きの船に乗換えて出港です。


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すぐ近くには大きな‘掛けかけの橋’がありました。



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メコン川にはほかにもいくつも船が出ています。



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荷物の積みすぎではないでしょうか…沈没寸前です。見よ、このぎりぎりっぷり。



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メコン川に堤防はないようです。



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途中で船を降り、ライスペーパーの製造工場を見学しました。



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こうやって日陰で乾燥させるそうです。

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これは製造途中。

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いったん蒸す?んですねぇ。

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おぉ、上手に出来ました(ライスペーパーをのし棒で巻き取ったのは観光客の韓国人です)

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妙に愛想のよかった犬。食事中、寄って来ましたが無視しました。狂犬病の予防接種してないだろうし…台湾人はおかずを少し分け与えていました。




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ここで昼食です。料金はツアー代金に含まれています。大したものはなかったけど、お腹は十分膨れました。



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再び船に乗って移動です。メコンの民の様子を垣間見ることができました。




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船はメコンの支流に入っていきます。


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魚を捕るための網を仕掛けているおじさんがいました。




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途中、養蜂所で蜂蜜茶を飲んだり、工芸品の販売所などにも寄りましたが、姉さまはほとんど覚えていません。何せこの頃になると熱は出るは鼻水は出るは咳は出るは寒いは暑いはで、朦朧としはじめてましたから。



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本当ならクルーズのメーン的イベントである手漕ぎボートでのメコン川下り時も、ただ早く帰りたい一心でした。


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お姉さんたちがいくら上手にボートを操っていても、感心する余裕もありません。


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この人は何をしとるんでしょう?魚でも手づかみしてるんでしょうか?とボーっと考えてました。


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あー、具合さえ悪くなければ、もの凄く興奮するシチュエーションです。




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最後に「あめ」の製造場所を見学しましたが、この頃姉さまの熱はピークに達していました。「もういいから、早く帰って!!」と叫びました。もちろん心の中だけで。



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ホーチミンに戻ったのは午後5時30分頃。体温を測ってみると、何と!カンボジアでの記録を上回る39度4分でした。近年にない高熱っぷりです。カンボジアの病院でもらった薬は欠かさず飲んでたのに、どーしてだろ。


とても街を歩ける状況ではなかったので、とりあえず空港までのタクシーを確保し、一番近いロッテリアでひと休みすることにしました。
「熱があると言うと飛行機に乗せてもらえないかもしれない」と兄さまに脅されましたが、確かに感染するような変な病気を疑われたら面倒なので黙って飛行機に乗ることにしました。


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最後に空港まで送り届けてくれたタクシー。英語はあんまり通じなそうだったけど、いいおじさんだった。

仁川では乗り継ぎ便が7時間後だったので、ひたすら空港内で寝て待ちました。元気だったら韓国の調味料を買い揃えてこようと思ってたのに、そんな余裕はありませんでした。

おかげさまで熱はとっくに下がりましたが、まだ咳き込むことがあります(9月26日現在)。ゆっくり治ってきてるようなので大丈夫だとは思うけど、あまりひどいようなら病院行ってきます。







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ベトナム5.再びベンタイン市場とサイゴン川クルーズ

ベトナム、カンボジア
2008.09.15-21

09.19
頭痛も再発することなく、無事ホーチミンに戻ることができた。とりあえず今日の宿をとるため、初日に泊まったANAN2に行ってみたのだけど、満室だった。仕方なく近くのPhiLongホテルに決めた。

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最終日に宿泊したPhiLongホテル。ツイン1泊15ドル。オーナーはいい人だったけど、部屋は今いちだった。※姉さま的たび日記参照


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最後くらいは屋台じゃない所で食事をしようと入った「ホー24」。姉さま的には屋台のおばちゃんの麺の方が美味しかった。※姉さま的たび日記参照


掲示レートがやたら良かったのでこのすぐ近くの換金所で換金したんだけど、マージンをとられて結局損した。やっぱSINH CAFEが一番かも。




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この旅で2度目のベンタイン市場。1度目は既に市場は閉まっていたので、周辺の屋台で夕飯を食べただけだった。洋服屋がやたら多く、土産物屋は以外と少なかった。



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屋台で見かけたベトナムのにゃんこ「ひょろちん」←勝手に命名。



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明日の夜にはベトナムを発たなくてはならないので、今夜は少し贅沢をしてサイゴン川クルーズに行くことにした。出発までまだ時間があったので、街の中をブラブラしていると…


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偶然「市人民委員会」の前に出た。その後も、旧市場やその周りをうろうろして時間をつぶした。



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サイゴン川にはクルーズ船が数隻停泊していた。どれに乗ろうかなぁ~。ちなみに乗船料は1ドル。料理は1品500円から1000円くらいだった気がする。屋台だけで過ごしてきた姉さまたちにはかなり高額に感じる。



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地元の子どもたち。年齢を聞いてみると、水の中にいるのが10歳、手前にいる赤いズボンが14歳だって。どうみても2人とも小学校低学年にしか見えんのだけど…。

この後赤ズボンの子は、別の子に「ちーび!こいつ12歳だぜ(兄さま曰く中国語だったらしい)と言われ、機嫌を損ねてどこかへ行ってしまった。



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サイゴン川の川沿いで出合ったにゃんこ「みけちん」←勝手に命名



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船内はこんな感じ。貧乏旅行者にはあまり縁のなさそうな華やかさだ。実際、旅行者といえば向かいの「マジェスティックホテル」に泊まってそうなセレブリティーばかりだった。ちょっと緊張した。



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さあいよいよ出港です。川の見えるポジションに陣取り、優雅な?クルーズを楽しみましょう。



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頼んだビールと料理の品々(ってほとんど食べ終わってるけど)。お金が足りるか内心ドキドキだった。



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船内ではこんな出し物も。下の写真のお姉さんはなかなかの業師だった。皆立ち上がって興奮気味にみていた。



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こうしてサイゴンの夜は更けていった。


明日はメコンデルタ方面へ行く予定。



カンボジア5.さよならプノンペン

ベトナム、カンボジア
2008.09.15-21

09.18
ツールスレーン収容所跡から帰ってくると、ちょうどスコールがあった。雨季に旅して既に4日目なのに、まともに降ったのはこれが始めてだった。
雨で気温が少しばかり下がり、過ごし易くなったものの、姉さまは一向に回復の兆しを見せない。本当はこの後も街をブラブラしたいと思ってたんだけど、大人しく部屋で休むことにした。


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初スコール。雨のプノンペンも一興。



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宿のすぐ近くにあったマーケット。部屋で休んだ後行ってみたけど既に閉まっていた。


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「屋台」ではなく「食堂」で食べたカンボジアの麺料理。お世辞にも美味しいとはいえなかった。


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夜はこういうネットカフェ?からブログを更新したり日本の友達にメールを送った。



夜になり、ますます体調が悪くなってきた。こんな体で明日はまた6時間かけてバスでホーチミンまで戻らなきゃならないと思うと気が重い。仕方なく病院にいくことにした。
姉さま的たび日記参照






09.19
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カンボジア最後の朝。まだ本調子じゃないけど、昨日とは比べ物にならないほど回復した。長時間のバス移動にも耐えられそうだ。


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さようならプノンペン。たぶんもう来ないと思う…。



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本当はチャウドック経由でホーチミン入りを考えていたのだけど、姉さまが病み上がりということで、最も短時間で戻れる往路と同じルートを選んだ。本当は全然‘病み上がってなかった’ということに気づくのはもう少し先。


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来た道と同じ道を戻る。今度はプノンペン方面からフェリーに乗ってメコン川を横断する。



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それにしても、カンボジア側の国境の町バベットには、やたらカジノが多い。営業中かどうか分からない所も多いけど、新築しているカジノもあった。この一角だけ別の国のよう。ベトナムの富裕層が遊び来るのか、カンボジア人には縁がなさそうだ。


カンボジア4.ツールスレーン収容所跡

ベトナム、カンボジア
2008.09.15-21


09.18
ウドン一帯を見学した後、コースには入っていなかったツールスレーン収容所跡(S21)にも行ってもらった。この頃になると頭痛はピークに達し、歩くたびに頭がガンガンしはじめた。途中で地元の薬局に寄ってもらったものの、日本製の薬はなく、仕方なく我慢することにした。車の中で寝ていようかとも思ったけど、もう2度とプノンペンには来ないかもしれないと考え、体に鞭打ち見学した。

写真説明は後々兄さまがつけてくれます。姉さまはこういうのはちょっと苦手で…。

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高校の校舎を利用して設けられたという刑務所。鉄条網のすぐ外には民家があったけど、当時市民はすべて農村に強制移住させられていたので、おそらく無人だったのだろう。

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カンボジアに侵攻したベトナム軍がこの収容所を見つけたとき、死体が残っていた犠牲者を埋葬した墓。

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この木組みに人を吊るして拷問したという。

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収容者が生活した独房の跡。レンガで仕切られた空間は2畳ほど。この中でほとんど約束された死を待つ気分はどんなものだったのだろう。

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尋問室の跡。鉄製のベッドが真ん中にポツンと置かれただけ。壁には、ベトナム軍が侵入してきたとき、このベッドの上に横たわっていた最後の犠牲者の遺体写真。このような部屋が5、6室はあった。

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各棟の入り口には、こんな標識が。犠牲者に弔意を表す意味で、「笑うな」ということだろうか。

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ツールスレーン収容所で犠牲になった人たちの顔写真。老若男女を問わず収容されていたことが分かる。最も大きく引き延ばされた写真には、まだ幼い子を抱いた母親が写っていた。

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言葉もありません。

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独房のある棟の2階を見学して、上がってきたのとは反対側の階段を下りて帰ろうとした。すると、1階は行き止まりになっていて、その部屋におびただしい数の古びた衣類が放置されていた。おそらく、犠牲者のものだろう。きちんとした展示スペースにも衣類が展示されていたが、こちらはそこに収めきれなかったものだろうか。突然現れた光景に、言葉を失った。

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実際に使われていた拷問器具の一部。上の器具は、蹄鉄のような形の突起に人の手を固定して逆さ吊りにし、水を張って顔を沈めたという。下の器具の使い方は忘れてしまった。

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カンボジアは肥沃な土地が広がり、農民が困窮することもなかったという。そんな土地に共産主義を植えつけるには、恐怖政治しかなかったのか。ポル・ポト派の犯罪を裁く国際法廷は、現政権のしがらみもあってまだ審理に入れないでいる。この収容所をはじめ、カンボジア全土で苦しみながら死んでいった人たちの魂が、この国の行く末をじっと見つめている気がした。

カンボジア3.ウドン

ベトナム、カンボジア
2008.09.15-21

09.18
やっぱり定員の4人は集まっていませんでした。ちょうど居合わせたシンガポールから来たという4人組に声をかけてみたのですが、あちらも市内観光に後1人足りないとかで、それどころではなかったようです。仕方なく追加料金を支払い、貸しきり状態の車でウドンへ向かいます。32ドルだったかな…。

ウドンは、17~19世紀くらいまでカンボジアの王都だったんだって。17世紀頃には日本人町があって、饂飩(うどん)はここから持ち込まれたと言われているらしい。本当かどうか知らないけど、カボチャもカンボジアから来てるしな…、と何の根拠もないことを思って納得した。



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ウドンまでは約1時間30分。朝飯を食べていなかったので、途中で店によってもらい、肉まんを2つ買いました。


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道は舗装されていますが、砂埃が凄いです。道の脇では白い牛さんが集まり、のんびり草を食んでいます。



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ウドンの仏塔の下に到着しました。運転手を下で待たせ、仏塔までの階段を登ります。



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途中、お猿さんに歓迎のご挨拶を受けましたが、それどころではなかったです。炎天下の中、かなりの段数を登らなければなりませんでした。途中から子どもがついてきて団扇で風を送ってくれたけど、後でお金をせびるに決まってる。途中から頭痛がひどくなりました。階段を上るたびにズキズキ痛みます。


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息を切らせながらやっとこ登頂成功です。



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ここからの眺めがまた最高なのです。視界一面にカンボジアの大地が広がります。頑張って登ってきて良かったと思った瞬間でした。


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中央奥の方に見える青い屋根は、武器の製造工場らしいです。付いてきた子どもが教えてくれました。英語が分からないフリをしながらしっかり聞いていましたよ。


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これはまた先ほどより古い仏塔です。キラキラとした飾りが施されていました。ついてきた子どもが飾りを一つもぎ取って見せてくれましたが、エッ!!そんなことしていいの!?ガイドブックには高僧の墓だと書いてありますよ(汗)



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仏塔は手前に来るに従って古くなっていくようです。子どもが熱心に仏塔の話をしてくれましたが、聞き流してしまいました。仏塔の先端にある四方を見つめている顔が、微笑んでいないのでちょっと怖いです。


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子どもいわく「モンキー仏陀」だそうです。なんじゃそれ。

ウドンはカンボジア人にとっても観光地らしく、多くの人が参拝?に来ていました。仏塔の周りでは皆靴を脱いでいました。



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ウドンの帰り、ツアーの内容に含まれているということで、どこかのお寺に連れていかれた。お寺の中では子どもたちがお昼を食べていた。銀細工工場にも連れて行ってくれたけど、熱も出始め、見学どころではなかった。

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Author:barung
アジア大好き。いつも格安チケットで行く貧乏旅行。もちろん国内旅行も大好き。これまでの旅の記録をのんびり綴る不定期ブログです

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