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余熱 ~大都会デリー~ (10月5・6・7日)

ホテルでシャワーを浴びた後、僕らはデリー行きの夜行列車に乗るため、ヴァラナシ駅へ向かった。

夜行とはいえ、発車時刻は13時45分。デリー着は翌6日の午前7時前だ。約17時間の長旅。ただ、ガヤに着いてからブッダ・ガヤ、ヴァナラシと苦労して移動してきた経験からすれば、寝ていれば目的地まで到達することができると考えるだけで幸せなことに感じられた。

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ヴァラナシ駅構内


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駅の中にもおなじみの牛さん


座席の印刷された切符を見て、乗る車両を探していると、おじいさんが声を掛けてきた。紙を差し出してきたので見ると、たくさん書かれた名前の中に、僕らの名前もあった。どうやら、乗客名簿らしい。おじいさんは、お前らの乗る車両はこっちだ、と僕らを手招きして先に歩き出した。しかし、おじいさんは駅員の制服姿ではなく、白い布をまとっただけの街角でよく見かける普通の服装をしている。半信半疑になりながら、自分でも車両を確かめつつおじいさんの後に続いた。
おじいさんは車両に乗り込んできて、僕らのコンパートメントの前までやってきた。切符と照らし合わせて、間違いはない。一応、お礼を言って席に座る。おじいさんは、微笑みを浮かべながら立ちつくしたまま、なかなか出て行こうとしない。

やはり、そうか。

僕はゆっくりと彼に話しかけた。「ホームには、他にも多くの外国人がいます。彼らが迷わないよう、助けてあげてください」

おじいさんは、笑顔のままうなずくと、すぐに立ち去った。おそらく、どこかで乗客名簿を手に入れ、ホームで外国人を探して寝台に案内し、チップをもらおうと考えたのだろう。もう、それぐらいのことでは驚かないし、腹も立たなかった。ガンジス河の淀みない流れのように、自然に、しかしはっきりと自分の考えを伝える。そうすれば、向こうも無駄な時間を浪費するようなことはせず、次の獲物を探しに行くのだ。

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コンパートメントはデリーからガヤまで乗った列車と同じ4人用で、2人用の寝台が向かい合わせになっている。帰りの列車では、2組の「同居人」と付き合った。

1組目は、ビジネスマンの男と若い女の2人連れ。男はドイツに本社のあるバイエル製薬に勤めているといい、車内にパソコンを持ち込んで盛んにキーをたたいていた。女は親類だと言ったが、2人の行動を見ると、それは到底信じられなかった。彼らは初めのうちは別々の寝台にいたが、夜になると女が男の寝台に入り込み、毛布を引きかぶって何事か話をしていた。僕は向かい側の寝台で寝ていたのだが、女の声が妙に艶かしく、まるで恋人同士がベッドの中で会話しているかのようだ。だいいち、親類であれば、同じ寝台で寝ることもなかろうに。おかげで、僕は横になってもしばらく眠ることができなかった。

彼らがラクナウという駅で降りてしまうと、すぐに男が1人乗ってきた。2組目の客は携帯電話関係のエンジニアで、カシミール地方へ向かうという。彼は僕らが使っていた日本製のボールペンに興味を示し、自分のと交換してくれとねだってきた。いい記念になると思い応じたが、彼のボールペンは帰国後数日でインクがでなくなってしまった。今頃、交換したボールペンはカシミールの冷気に凍えているのだろうか。

これらの同居人(1組目は主に男)とはカタコトの英語で雑談したが、印象深かったのは、いずれも中国とパキスタンを敵視していることだった。国際情勢の報道などに照らせば、両国に対するインド人の覚えがよくないことは予想できるが、実際にインド人の生の声を聞いて、やはり根深い感情なのだと実感できた。

カシミール地方へ向かうという男は、イスラム教徒だけでなく、イスラエルにも敵意を抱いていた。理由は「人を殺す」からだという。同時に、彼は日本について「日本は人を殺さない。だから、いい国だ」と言った。自衛隊の海外派遣は行われ、目と鼻の先のインド洋では護衛艦が給油活動をしている最中だったが、彼は、実際の戦闘には参加していないという点で、日本の姿勢に好感を持っていたのだろう。たったこれだけの言葉だが、日本に対する外国人の考えを生で聞くことはとても有意義な体験だ。もっと英語ができれば、さらに掘り下げた会話ができたのに、と残念でならない。


ヴァラナシ~デリー間のとある田舎駅




ニューデリー駅に着いたのは、定刻より遅れて6日午前8時ごろだった。

空港までのリムジンバスが出る場所を確認してから、オートリクシャーに乗った。行き先は、ラージパット・ナガルと呼ばれる市場。インドの活気あるマーケットを、一目見てみたいと思ったからだ。

市場には30分ほどで着いたが、まだ多くの店は開いておらず、人影もまばらだった。まずは朝食を取ることに決め、近くのマクドナルドに入る。
牛肉が食べられないヒンズー教徒と、豚肉が食べられないイスラム教徒が多数を占めるインド。ハンバーガーの中身は、ほとんどがチキンだった。僕は、インドらしいネーミングが気に入ったという理由だけで、

マハラジャ・バーガーセットを注文した。

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それにしても、マクドナルドの店員教育というのは、どこの国でも関心するほど行き届いている。中国でもタイでも、そしてこのインドでも、マクドナルドで不愉快な思いをしたことはない。ここに挙げた国々では、客の立場で代金を払っていても、サービス提供者からぞんざいに扱われるケースが少なくない。しかし、マクドナルドときたら、きちんと制服を着た店員が、列で待っている客にわざわざ声をかけて注文を聞き、釣銭をごまかすことなく返し、床やテーブルの掃除までこなす。だからマクドナルドを見習え、なんて野暮なことは言わないが、少なくとも日本の商習慣の中で育ってきた人間としては、肩身の狭い思いをせずにポテトを口に運べることに妙な安心感を覚えてしまうのだ。

マハラジャ・バーガーで腹が膨れたところで、市場の見物に出かけた。ラージパット・ナガルは、観光客向けの宿も並ぶニューデリー駅前のメイン・バザールとは違い、デリー市民が日用品を買いに来るごく一般的な市場だという。服を仕立てる布地を売る店や、スカーフなどを売る店、靴屋などが路地3、4本分の空間にびっしりと並んでいた。

そのうちの一つで、アパートの部屋でも使えそうな座布団を見つけ、値段交渉をした。これまでの経験で、僕らの頭の中には、市場で値切る場合はまず店側の言い値の半値ぐらいを要求し、そこから双方が歩み寄っていく「型」のようなものが出来上がっていた。もし、相手がなかなか折れなかったら、一度帰るふりをする。そうすれば、向こうは「待て待て」と言ってさらに値を下げてくる。店側は結局、自らの利益を確保できる値段より安くは値切る気がないから、買う気のある客を逃すより、希望通りの値段でなくても売ったほうが儲けにつながる。こちらも店から最大限の値引きを引き出したという感触を得られるから、納得して買い物ができるのだ。

この店でも、同じ戦法を取った。しかし、ここの店主はなかなか頑固で、言い値より少し下げたものの、その後はまったく交渉に応じてくれない。それどころか、買わないのなら帰れ、とばかりに相手にすらされなくなってしまった。買う素振りを見せたのに、値段交渉で相手が先にそっぽを向けたのは、初めての体験だった。他の店でも、無視まではされずとも、値段交渉をあまり快く思っていない印象を受けた。
僕らは、アジア的な臭いを求めて市場にやってきたが、必ずしもその狙いは当たっていなかったということだろうか。インドは経済発展を続けている。デリーという大消費地で、一定水準の経済力を持った住民が買い物を楽しんでいるとしたら、店側は特定の客のために必要以上に値切ってやる必要はない。

品物を買うのに、資金力と同時に「交渉力」という多分に人間くさい要素も求められ、そこかしこで丁々発止のやり取りが繰り広げられる市場の風景は、首都デリーでは薄れつつあるのだろうか。そんな勝手な感傷に浸りつつ、市場を後にした。

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インド門とコンノート・プレイスというデリーを代表するランドマークを横目に、僕らはオートリクシャーでニューデリー駅へ戻った。夕暮れの淡い光線の中に、メイン・バザールの灯りが煌々と輝いていた。狭い通りは人と車、リクシャーであふれかえり、ガヤへ出発する前に見た昼間の顔とは別人のようだった。

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僕らは、4日前にチャパーティーを食べた店で、インド最後の晩餐をとった。
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空港へのリムジンバスの停留所は、駅の反対側にあった。正確に言えば、バスが止まるであろう場所、だ。朝、市場へ向かう前に下見をしたとき、その場所で男性がバスに乗るのを見た。僕らは念のため、通りがかりの人にバスが止まるかどうか尋ねた。その人は近くにいた警官らしき制服姿の男を連れてきて、その男は確かにここにバスは止まる、と言った。道端で軽食の屋台を出していた少年にも尋ねたが、彼もここで待っているように、と目と指で合図した。

立ち続けて、1時間が経とうとしていた。すぐ隣のバスターミナルからは頻繁に路線バスが出発していったが、空港行きのリムジンバスはまだ現れなかった。屋台の少年は、再度僕らに「ここで待っていろ」と念を押した後、そのバスターミナルからバスに乗って帰ってしまった。少年が後ろで商売をしている間は、バスが来ることを信じる気持ちが強かったが、心の支えがなくなってしまうと、途端に不安が胸を覆った。

背に腹は代えられない。僕らはオートリクシャーをつかまえ、「インディラ・ガーンディー国際空港まで」と告げた。

空港に行く途中、反対車線は大渋滞を引き起こしていた。リムジンバスがやってこなかったのは、これが原因だったのかもしれない。ともかく、僕らは近代的な高速道路の高架上を、オート三輪を改造したような形のオートリクシャーで空港へ向かっていた。その光景は、新興国インドのいまを象徴したものであったかもしれない。うなりを上げるエンジン音を聞き、路面の凹凸に正直な揺れに身を任せながら、僕はこの国から日本へ帰っていくことの意味を思った。ほっとしたような、それでいてどことなく寂しい気持ちがした。

空港に着き、ターミナルビルのドアを開けると、エアコンで冷やされた空気が身を包んだ。全身にこもっていた熱が、次第に冷めていった。ベンチに腰掛けて帽子を脱ぐと、染み込んだ汗の跡がくっきりと浮かんでいた。
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(完)

















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陽光 ~Bye Bye Ganges~ (10月5日)

朝早く、僕らは通りでサイクルリクシャーをつかまえ、ガンジス河へ向かった。

3回目のダシャーシュワメード・ガートは、静かに僕らを受け入れてくれた。河に沿って、北へ歩く。何人かが水の中に入っていた。ある人は沐浴をし、ある人は白い泡を立てながら体を洗っていた。

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ビデオカメラを回していると、沐浴をしていたおじさんから写真撮影を頼まれた。奥さんと2人でネパールからやって来たという。ヒンズー教徒の沐浴は厳かに行われるものとばかり思っていたが、おじさんの様子を見ると、どこか子どもが河に入ってはしゃいでいるようだった。


ガートで沐浴する人々

今回の旅のハイライトがやってきた。僕も服を脱ぎ、用意した海水パンツを履いて勢いよく水に飛び込んだ・・・・

と書きたいところだが、なかなかそうはいかなかった。旅に出る前は、ヒンズー教徒たちと同じように全身沐浴が当たり前と意気込んでいた。しかし、もし水でも飲んで腹を壊したりしたら、かけがえのない時間を費やして続けてきた旅の終わりが締まらないことになってしまう。路上で売られていたスイカを食べて下痢を起こし、最後の一日をベッドの上で過ごした数年前のタイ旅行の経験も、僕を慎重にさせていた。

僕は靴下を脱ぎ、素足を水に浸した。水深は数センチしかないはずなのに、すぐに足は見えなくなった。ぬめりの強い泥が皮膚にまとわりつき、その柔らかい感触と水の冷たさに、目の覚めるような思いがした。

これがガンジス河か。

平凡だが、足を浸して初めて体感したガンジスの感想だ。母なる大河ガンジスと自分が、27.5センチの足2本でつながっている。それを思うだけで、ずっとそうしていたかった。


河沿いにいくつかのガートを越え、マニカルニカー・ガートに着いた。


ここは、火葬場だ。焼かれた遺灰は、母なるガンガーに流される。


長年、煙にいぶされてきた建物の壁は、赤銅色に変わっていた。階段状のガートのあちこちに、遺体を焼くための薪が積まれ、そのうちの一つから白い煙が上がっていた。

近づこうとすると、男が近寄ってきた。「(火葬に使う)薪代を払ってくれ」と言う。無視して進もうとすると、男は食い下がってきた。だが、僕らの前を歩いていた白人のバックパッカーが彼に構わず白い煙のそばまでたどり着いたのを見ていたこともあり、僕らは男を押しのけるように先へ進んだ。男は、それ以上追ってはこなかった。

薪代を要求する男の存在は、ガイドブックにも書かれていた。薪代を払っても、純粋のその目的に使われるとは限らないという。詳しいことは分からないが、背後にヴァラナシで幅を利かせるマフィアのような存在もうかがわれるらしい。とにかく、薪代を払わずとも、マニカルニカー・ガートに入ることはできるわけだ。

煙のそばでは、火葬場の管理を担っているらしいインド人が数人、黙々と動いていた。僕らとバックパッカーの白人男性、そして、ガイドを伴った旅行者らしき女性が、その作業の様子を眺めていた。火葬されている遺体は、もうほとんどが灰になってしまっているらしかった。風向きが変わると、煙が僕らを包み込んだ。遺体が焼き尽くされてしまったためか、咳き込みながらかいだ匂いは、日本の田舎でよく見かける野焼きのそれとあまり変わらないのが意外だった。

引き返すとき、少し離れた場所から再びマニカルニカー・ガートを見た。この風景を日本に持ち帰りたい。カメラを取り出し、ファインダーは覗かずに腹の辺りで構えた。

さきほど、薪代を要求してきた男が寄って来た。「ここはカメラはノーだ。いま、撮ったのか?」

「ノー」と答え、すぐにカメラをしまった。ここは、男の言うとおりにしたほうがいい。マニカルニカー・ガートは撮影禁止だ。

歩いていくと、別の男が白人のカップルに何事か詰め寄っていた。男は、カップルの男性の手をつかんで引き寄せようとし、男性は声を荒げて振りほどいた。女性は、ひどく怯えているようだった。
また、薪代でも要求しているのか。僕はカップルに向かって叫んだ。

「大丈夫、その男は無視していいよ」

しかしカップルは、どうしようもない、と言った表情で首を横に振り、もと来た方角へ戻ろうとしていた。

僕は詰め寄っている男に近づき、背後から中指を立ててやっ

た。


白人カップルの女性が、少し笑ったような気がした。行儀の悪いやり方だが、このカップルがわずかでもマニカルニカー・ガートを見られない怒りを和らげることができたのなら、それで良いと思った。

郷に入らば郷に従え、という言葉がある。旅に出るとき、僕はある程度覚悟を決める。その国の食べ物を食べ、習慣に従ってこそ、旅の本当の面白さを味わえる。
ただ、金儲けのためにだまされたり、不当な要求をされたりすることまで甘んじて受け入れようとは思わない。それがインドという国の性質の一つなのだとしても。旅行者が自由に安全に旅をする権利は、その国の人たちの生活や文化を侵さず、正当な対価を払って行われる限り、損なわれるべきではない。

時計を見ると、午前7時40分を回っていた。このままガンジスの風に身を委ねていたかったが、僕らにはその前にどうしてもしなければならないことがあった。



ヴァラナシに着いた日、ブッダ・ガヤからの車の運転手に頼んで、ヴァラナシ駅に立ち寄った。ニューデリー駅で予約しておいたヴァラナシ~ニューデリーの夜行列車の発車時刻を確認しておきたかったからだ。
外国人窓口の時刻表を見ると、乗車予定のヴァラナシ19時15分発の列車はあった。安心したが、そこはインドのこと。念のため係員に尋ねようと、チケットを取り出した。

券面に印刷された列車名と日付、時刻を確かめ、体中の血の気がさっと引いた。

ヴァラナシ発の日付が、10月6日になっていた。

帰国の便がニューデリーを発つのは、7日の午前1時過ぎ。少なくとも、6日の夕方までにはニューデリーにたどり着かなくてはならない。ところが、僕の持っている切符では、ニューデリー着が7日の朝だ。そのころ、僕らの席を空けたままの飛行機は、東アジアを目指して高度1万メートルを飛んでいる。

すぐに係員にチケットを見せ、1日早い列車に変更を申し出た。見たところ、インド国鉄の係員はタイに比べれば勤勉と言える。それでも、日本のように乗客の要望をかなえるためのできる限りの努力が保証されているわけではない。僕の訴えを聞いた係員は、わずかだが同情の色を見せつつ「朝8時に窓口が開くから明日来い」と言った。発券業務がコンピュータ管理されているはずなのに、乗る列車の変更が当日でないとできないというのはおかしな話だ。もし明日、切符の変更ができなかったら、僕はインドから会社に、勤務シフトに穴を開けることの詫びの電話を入れなくてはいけない。

なおも食い下がると、係員は目の前のパソコン端末を操作し、僕が変更を希望する列車の空席を調べた。席はあった。しかし、予約するにはやはり明日の8時に窓口を訪れなければいけないという。もちろん納得はできなかったが、ここは上司や同僚の目線を気にせず日本へ戻れる希望がつながったことだけでも満足するべきだ、と自分に言い聞かせ、駅を後にしたのだった。



ダシャーシュワメード・ガートの入り口でオートリクシャーを探していると、昨日ホテルまで乗ったサイクルリクシャーのおじさんと再会した。彼は僕らが約束どおり自分の車に乗るものと思い込んでいるようだったが、一刻も早く駅に着きたい僕らにとっては、オートリクシャーの方が魅力的だった。だが、どうしたことか、オートリクシャーがなかなかつかまらない。仕方なく、おじさんの両足に命運を託すことにした。

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ヴァラナシ駅

おじさんのひと漕ぎひと漕ぎが、スローモーションを見ているように長く感じられた。僕らの気持ちを感じ取ったのか、おじさんは地元の人しか知らないような路地を抜けて近道をし、ガートから20分ほどで駅に着いた。用事が済んだ後も利用してくれとせがむおじさんへの別れの言葉もそこそこに、僕らは小走りに窓口へ向かった。あらかじめ選んでおいた列車名と行き先、発車時間などを用紙に書き込み、係員に差し出す。キーをたたく乾いた音が、室内にこだました。

席はあった。

5日13時45分発。ニューデリーには翌6日午前7時前に着く。体中の力が抜けていった。



列車が出るまでの数時間、僕らはもう一度、ガンジス河に会いにガートへ向かった。

ハリスチャンドラ・ガート。ヴァラナシでもう一つの火葬場だ。

オートリクシャーを降りて河へ向かう道沿いには、そこかしこに火葬に使う薪が積まれ、男たちが黙々と働いていた。道端に立っていた少女にレンズを向けると、うれしそうに微笑んで、ポーズを取ってくれた。

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ここでも、煙が上がっていた。炎と煙の中から、まだ人間の形をとどめた足の一部が突き出ていた。有名なマニカルニカー・ガートの陰に隠れているせいか、旅人らしき存在は僕ら以外に見当たらず、おかげで薪代を求められることもなく、川風に煙がたなびいていくのをのんびり眺めることができた。

インド人の男が、話しかけてきた。この火葬場のオーナーの息子だという。彼は、死者の身分によって火葬される位置が異なることを教えてくれた。ガートの中でひときわ高く造られた祭壇のような場所は、カースト最高位のバラモン。それに次ぐ中位のカーストは、階段状になったガートの高い場所。そして、さらに身分の低い人々は、階段の下方の最も河に近い場所で灰になる。火葬には金が必要で、バラモンは6000ルピー、以下4000、3000と値がついているという。

では、僕らのような外国人、つまり異教徒はどうなるのか。ガートをのぼりつめた場所に、煙突が2本突き出た火葬施設があった。「エレクトリック」と息子。せっかくガンジスのほとりで死を迎えても、ヒンズー教世界に属さない者は、電気で制御された炎で焼かれる。煙突にくっついたすすを見ながら、切なさとおかしさがごちゃ混ぜになったような、妙な気分になった。

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ハリスチャンドラ・ガート。煙突のある建物が火葬施設

しばらく、河沿いを北へ歩いた。ある人は船に乗り、ある人は洗濯をし、ある人はただその辺をぶらぶらしていた。人々が行きかう中、牛たちは間の抜けた顔で寝そべり、自分の時間を楽しんでいた。どこまでも空は広く、水の流れは穏やかだ。水面を渡る風が、汗を含んだ皮膚に心地よい。弓なりの川辺に並ぶ建物は、遠くへ行くほど霞み、蜃気楼のようにも見える。

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牛の糞を乾燥させて燃料にするのだろうか


ハリスチャンドラ・ガート周辺の様子


マニカルニカー・ガートを離れた場所から撮影。ピンク色の塔のような建物の向こう側がガート


たった2日だったが、ヴァラナシではいろいろあった。けれども、最後の最後にゆっくりと、ガンジス河との会話を楽しむことができた。もう一度、ここに来たい。心からそう思えた。今回の旅で、思い残すことはなくなった。

河を離れる間際、ガートの最上段で、ガンジス河を振り返った。陽光を受けてきらめく川面がまぶしかった。


バイバイ、ガンガー!

僕らは笑顔で手を振った。




















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解熱 ~インド最悪の日・下~ 

 再び、ダシャーシュワメード・ガートに着いた。陽はすでに落ち、土産物屋の灯りが褐色の肌の人々でにぎわう通りを照らし出している。

 横合いから、男が声を掛けてきた。日本語だ。とっさに顔を見ると、先ほどのガイドとは違う男だった。自分の店の商品を見ていってほしい、としきりに訴えてくる。無視したが、彼もまた、これまで出会った何人ものインド人と同じように僕の横にぴたりと張り付き、引き下がる様子はない。

 ふと、自分たちのやり方に疑問を感じた。沈黙は、何も変えられないのではないか。

 「いらない」

僕らはその男に向け、口をそろえて言った。「買わない」「いらないから」

 男は立ち止まった。何事かつぶやいたように聞こえたが、何を言っているのかは分からなかった。僕らは歩き続けた。男は、それ以上追ってはこなかった。

 長い間、喉に引っ掛かっていた小骨が抜けたような気がした。


 僕らの前に、先ほど振り切った日本語を話すガイドが現れた。彼は、僕らの背にさっきまであった大きなバックパックがないことに気づいた。

 「どこのホテルに泊まった?どこのホテルに」。執拗に尋ねてきた。僕らは答えた。「もうホテルは決めた。あんたのところには泊まらないから」。

 彼は語気を強めた。「それなら名刺を返して。返さないと、私怒る。私、angry」。

 僕が肩掛けのバッグから名刺を取り出して渡すと、彼は立ち止まった。そして、反対方向に歩き出した。僕らの背中に、彼の叫び声が降りかかった。

 「You Japanese Fuck you! You Japanese Fuck

you!」


 侮辱の言葉がガンジスの闇に吸い込まれていくのと同時に、僕は河の匂いを含んだ新鮮な空気が胸いっぱいに吹き込んでくるのを感じた。

 終わった。これで、終わった。

 ヴァナラシの地を踏んだ直後に陥った負のスパイラルを脱け出す鍵は、主張することだった。主張せず、沈黙する者には、まだ付け入る隙がある。ガイドたちが必要としたのは、彼らを拒む態度ではなく、彼らの誘いに対する僕らの明確な言葉だったのだ。
 この答えを得るために、僕らは夕暮れのガンジスを心穏やかに眺める権利と、少しばかりのホテル代と、薄汚い河沿いの安宿でガンジスに上る朝日を拝む権利を失った。だが、この授業料は決して高いとは思わない。今回、そしてこれからも続くであろうインドでの旅で、僕らが快適に、かつ安全に過ごすためにはどうすべきか。そのよりどころとなる行動規範について、身をもって気づくことができたのだから。答えは、単純だった。しかし、その答えは得がたい体験によって裏打ちされている。これほど、頼もしいことはない。


 ガートの階段を下りていくと、夕暮れ時にはボートが係留されているだけだった河岸の風景が一変していた。
 一段高くなった祭壇のような場所で若い男が4人、等間隔に離れて踊っている。線香がたかれ、男たちはそれを捧げたり、鐘を鳴らしたりしている。スピーカーから、歌とも呪文とも取れる声が大音量で流れる。踊る男たちの姿はライトで照らし出され、祭壇の下や河に浮かんだボートの上から、多くの人々が視線を送っていた。

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 帰国してから調べたのだが、この催しは「Puja(プージャー)」という宗教儀式で、日本流に言えば「灯篭流し」。ヴァラナシでは毎晩行われているという。木の葉や花でつくった小船にろうそくなどを乗せて流すらしいのだが、残念ながら現地でその光景を見ることはできなかった。

 踊り見物に疲れたので、人ごみから離れ、水際に立った。ガンジスの水面を、月明かりが照らし出していた。岸辺の喧騒をよそに、青白く光る河はどこまでも静かに、ゆっくりと流れていた。

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 夜も更けた。ガート近くの食堂で夕飯を食べる。

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「マサラ・ドーサ」。ジャガイモや野菜の炒め物をクレープのような生地でくるんで食べる南インドの料理だ。スプーンなども付いてきたが、周りのインド人がやっているように、僕らも手を使って食べた。
 ぎこちない手つきで口に運んでいると、傍らにいたおじさんが「それは南インドの料理だ。うまいか」と話しかけてきた。「delicious」。親指を立てて答えると、おじさんは満足そうな笑みを浮かべてうなずいた。

ガートからホテルへの帰り道は、サイクルリクシャーをつかまえた。運転手(ワーラー)は小柄なおじさんで、短く刈り込んだ髪は、年齢のせいか、あるいは街の砂ぼこりをかぶっているのか、うっすらと白かった。
 ガイドの尾行は終わっていたが、念のため、このワーラーにもホテル名は告げず、少し先のヒンドゥー大学を目的地とした。自転車の後ろに人力車の座席部分を取り付けたような形のサイクルリクシャーは、このおじさんが一人で漕ぐには少し大きすぎるようだった。おじさんはサドルに座らず、ずっと立ち漕ぎで進んだ。ペダルを踏み込むたび、小さな体が踏み込んだ側に大きく傾いた。

 「どこから来た?日本人か?」。用心深い僕らは、素性を隠すため嘘をついた。「韓国人」
 するとおじさんは、何やら意味の分からない言葉を発した。反応できない僕ら。

 「韓国人というのは嘘だろう。日本人だ」

 おじさんは、意地の悪い笑みを浮かべて言った。

 おじさんは漕ぎながら、ヴァラナシの観光地めぐりに雇ってもらおうと、セールストークを仕掛けてきた。だが、これまでのガイドたちとは違い、その態度や口調からは金儲けのいやらしさや胡散臭さは感じられず、むしろ生活の糧を得ることへの真摯な気持ちが心に響いてきた。
 おじさんには、子どもが3人いるという。もし、まだ幼ければ、おじさんの稼ぎが一家の胃袋のほとんどを満たしていることになるのだろう。無数のリクシャーが走り回るヴァラナシで、外国からの観光客と貸し切り契約を結ぶことができれば、一家が安心して暮らせる時間はその分長くなる。必死にならないはずはない。

 おじさんは、目的地のヒンドゥー大学に着いても、熱心に誘ってきた。だが、僕らにも予定があり、旅のスタイルがある。「もしまた出会ったら、おじさんのリクシャーに乗るよ」。そう言うと、おじさんはようやくあきらめ、ガートの方角へ引き返していった。


















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暴発 ~インド最悪の日・中~ 

 僕らは、ガンジス河のほとりを目指した。日暮れまでにはまだ時間があった。某有名ガイドブックの地図によれば、車を降りた地点から東に歩けばよいはずだった。

 歩き始めてすぐに、男が話しかけてきた。僕の横にぴたりと寄り添い、絵はがきのようなものを差し出しながら、日本語で何やら言ってくる。さらに、もう一人の男が現れた。こちらは日本語は話せないらしく、か細い声で何か言ったのが聞こえただけだった。
 
 どうせ、ろくなものじゃない。

 無視しようとしたが、辺りに外国人は僕らしかいない。日本語を話す男はずっと何か話しながら寄り添うようについてくる。彼らは僕らが歩き続ける限り、どこまでもつきまとってくるだろう。

 気がついたら、叫んでいた。

 自分でも驚くほど、感情を抑えることができなかった。ニューデリー駅で騙されたこと、ブッダ・ガヤで切符が取れなかったこと、車のチャーターをめぐってホテルの社長と険悪なムードになったこと、そして、ヴァナラシに着いてから、車の運転手に金を要求されたこと。インドで出くわしたさまざまな出来事で溜め込まれていた不満が、拙い日本語を話す男をきっかけに一気に爆発、いや暴発してしまった。

 わめき散らす僕の姿に、男たちはさすがに驚いたようだった。その後、話しかけてくることはなくなった。



 だが、沈黙は終わりを意味しなかった。



 口を閉ざした彼らは、なおも僕らのそばを離れようとしなかった。背後にいるかと思えば、歩を速めて僕らの前に出る。姿が見えなくなったと思ったら、いつも間にかすぐ横を歩いている。

 気味が悪くなり、大通りから細い路地へ入った。彼らは無言のまま、まだついてくる。そればかりか、日本語を話す男が突然、路地の脇の土レンガの壁を拳で殴りつけた。男が抱え込んだ不快感が、僕の胸めがけて矢のように飛んできた。

 2人の男を引き連れたまま、僕らはしばらく路地をさ迷った。ホテルの社長が言ったとおり、古くから開けたヴァラナシの街は迷路のようだった。ここから大通りに出られる、と見当をつけて角を曲がると、出口の見えない路地が延びていた。道端にたむろする人々は、ある者は刺すような視線を僕らに注ぎ、ある者は無関心を決め込んでいた。
 異国からの旅行者でにぎわう大通りと路地裏の間に引かれている薄い膜のようなものを突き破り、彼らの生活空間に土足で踏み込んでしまったような感覚に襲われた。同時に、僕らを付けまわしている2人の男も地元の人間である以上、彼らのフィールドにこれ以上とどまることは避けた方が良いように思われた。

「とにかく、路地を出よう」

 僕らは足を速め、少しでも人の気配が濃い方向に進んだ。路地には日陰が多かったが、涼しさを感じる余裕はなかった。

 やっとの思いで、車やリクシャーが走る大通りに出た。だいたいの方向は分かっているつもりだったが、このまま歩いてガンジス河までたどりつける自信はなかったし、第一、それでは2人の男をあきらめさせることはできない。僕らは走ってきたサイクルリクシャーを止め、ヴァラナシで最もにぎわうガート「ダシャーシュワメード・ガート」に向かうよう伝えた。

 リクシャーに乗り、ヴァラナシの街を少し高いところから眺めたとき、この街に来て初めて一息つけた気がした。しかし、その思いはすぐに打ち消された。

 僕らのリクシャーの左側から、かの2人を乗せ

たリクシャーが近づいてきたのだ。


 彼らは、自腹を切ってまで(おそらく)僕らを追ってきている。あるいは、リクシャーワーラーとの間に、観光産業に携わっている者同士の絆のようなものがあり、このような場合はふだんからリクシャーを使って追跡しているのだろうか。いずれにせよ、こうまでして追ってくる彼らの執念は、ただホテルやツアーに誘うためだけのものだとは思えなかった。ガイドブックに頻繁に登場する「身の危険」という言葉が、じわじわと胸を締め付け始めた。

 ダシャーシュワメード・ガートに着いた。土産物屋が並ぶ細い通りを抜けると、目の前にガンジス河が広がった。

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カフェオレ色に濁った水は意外に少なく、向こう岸の砂洲がすぐ近くに見えた。悠久の時間を象徴するかのように豊かな水量でゆったりと流れるガンガーのイメージは裏切られたが、河を渡ってくる風は頬に涼しく、かすかに匂った。

 僕らは、後をつけてくる男2人の気配を意識しながら、ガート周辺をそぞろ歩いた。大きなバックパックを背負った僕らは一目で観光客と分かるため、尾行者以外にも何人かの男たちが日本語で話しかけてきた。しかし、僕らは彼らをすべて無視することに決め、お互いの会話も、彼らに聞き取られないようわざと語順を変えるなどした。

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ここにも牛がのんびり風に当たっている。右端の人物が尾行男1(日本語可)

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こちらは、チャイを飲もうとする尾行男2(日本語不可)




 沐浴の風景を探したが、時間が違うのか、期待を満たしてくれる人はいなかった。その代わり、水辺には無数の木船が係留されていた。観光客が河の上から沐浴を見るためのものだ。希望すれば、向こう岸の砂洲まで連れて行ってくれる。

 砂洲は、ヒンズー教徒にとっては穢れた土地とされているらしく、人工物はまったく見当たらない。異教徒である外国からの観光客のみが、船を雇って渡っていく。おそらくヒンズー教徒である船頭は、自らが信仰する宗教で否定されている場所に頼って、生計を立てていることになる。もし、彼らにそのことを尋ねたなら、彼らはこう答えるのだろうか。「誰があんなところに好き好んで行くか。外国人が行きたいっていうから仕方なく渡してやってるだけだ。もちろん、俺は一度の砂洲に上がったことなんてないよ」

 石段に腰を下ろしていると、老人がチャイを売りにきた。1杯1ルピー。お猪口のような小さい素焼きの器に、ガンジス河と同じ色の液体が注がれる。遠慮のない甘さが、疲れた体に染み透った。チャイを飲んだのは生まれて初めてだったが、こんなに美味いものだとは思わなかった。

 河の向こうに、陽が沈もうとしている。さて、これからどうするか。まだ宿を決めていない。ヴァラナシへ来るまでは、ガンジス河沿いの安宿に泊まろうと考えていた。できれば、河が眺められる部屋に。

 ただ、僕らには尾行者がいた。チャイを飲んでいるとき、日本語を話せる男が近づいてきて、僕に名刺を渡してきた。僕らが持っているガイドブックも紹介している宿の名前。ダシャーシュワメード・ガートからそう遠くない場所にあり、運が良ければ、リバービューの部屋もある。ただ、ここまできて彼の口車に乗せられる気にはなれなかった。

 ただ、名刺をもらったことで、彼らの素性が少し明かされたのは好都合だった。僕らは、ガンジス河沿いに泊まるのをあきらめた。河沿いの別の宿に部屋を取っても、もしその宿が尾行者の宿と付き合いがあれば、僕らの動向は筒抜けになってしまう恐れがあった。男たちが当初の勧誘の仕事を逸脱して、僕らに仕返しをする狙いで尾行してきたとするなら、それは危険極まりない状況だ。事が起こることを察知して、警察に保護を求めたとしても、ここはインド、しかも観光客擦れが甚だしいとされるヴァラナシだ。期待に沿う働きをしてくれる保証はない。

 僕らはガイドブックを開き、河から離れたホテルに目を付けた。河沿いの宿より少々値が張るが、その分、セキュリティは比較的しっかりしていそうだ。尾行者が暗躍する場所からも離れている。暗くなる前に、何としても今夜の安住の場所を見つけたい。

 ガートの入り口に停まっていたオートリクシャーに乗り込む。この運転手も尾行者に通じているかもしれない。念のため、目的のホテルの少し先にある場所を告げた。リクシャーが走り出す。すると、日本語を話す男が運転手の隣に乗り込もうと体を入れてきた。驚いた次の瞬間、運転手は男を手で押し返した。後方に取り残される男。しかし、さらに前方に、もう一人の男が待ち構えていた。思わず、運転手の肩をたたいて叫んだ。

 「GOGOGOGOGOGOGO!」

 運転手は軽くうなずくと、乗り込む素振りを見せた男を振り切るようにスピードを上げた。

 オートリクシャーは、ヴァラナシ市街の雑踏の中に吸い込まれた。追ってくる可能性は残っていたが、多くのオートリクシャーが走る中、僕らの乗っている車を見つけ出すのは難しそうに思われた。「奴らはガイドだ。また乗ってこようとしたら、追い払ってやる」。そう言って笑う運転手の横顔が頼もしかった。「I am strongman」。彼の言葉に、僕らは自然に反応した。「You are strongman! strongman!」

 オートリクシャーを降り、ホテルにたどり着いた時には、既に薄暗くなっていた。部屋に荷物を下ろし、一息つくと、僕らは再びガンジス河へ向かうべく通りへ出た。せっかくヴァラナシまでやってきたのに、ガイドに尾行されたぐらいでホテルに閉じこもっているわけにはいかなかった。サイクルリクシャーをつかまえ、闇に覆われていく街の中へ入っていった。

















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鬱憤 ~インド最悪の日・上~ 

マハーボディー寺院からホテルに引き揚げ、ロビーを通り抜けようとした時、インド人の初老の男に日本語で呼び止められた。このホテルの社長で、日本との取引があるらしく、その風貌からは想像もつかないほど流暢な日本語を話した。

僕らをロビーのソファに座らせ、彼は明日のヴァラナシまでの車の手配について話し始めた。

「出発は何時ですか?」

昼間に同じホテルの窓口で予約した内容を再度尋ねられ、少し嫌な予感がした。

「9時です」

「それは遅いですね」

彼は間髪入れずにそう答えた。

「その時間では、運転手が帰ってこられません」

ヴァラナシまでは車で6時間ほどかかる。僕らはガンジス河の夕陽を見るため、日没の時間から逆算して出発時間を決めていた。朝起きて朝食を摂り、ホテル周辺の寺院を散歩して帰ってくるのにちょうどいい時間だ。昼間、窓口で申し込んだとき、担当係は何も言わなかった。なのに、社長は一度了承した時間を変えろと言うのだ。

「しかし、僕らは9時で予約して、そのつもりで行動しています。今更時間を変えろというのは納得できません」

社長はなおも難色を示したが、彼が抵抗の色を示せば示すほど、こちらも意地になった。ブッダ・ガヤからヴァラナシまで、もし予定通り列車で移動するなら、2人で942ルピー(約1900円)しかかからない。しかし、車で移動すると、6000ルピー(1万2000円)もかかるのだ。僕のミスで列車に乗り損ねたとはいえ、高い金を払って車を手配するのだから、最大限こちらの要望を受け入れてしかるべきだろう。そう、一度は9時でOKしているのだから!

結局、喧嘩の寸前までいって社長が折れ、予定通り9時にホテルを出発することになった。すべてが終わって部屋に帰ると、少しこちらも怒るのが早すぎたかな、という気持ちになった。もっと冷静に社長の言い分を聞いて、こちらの主張もていねいに伝えていれば、双方気分を害することもなく事は解決したのかも知れない。

自分が、すぐ熱くなりやすい精神状態に

陥っているのが分かった。


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翌10月4日、ホテル近くのレストランで朝食を食べ、軽く散歩して、きっかり9時に出発した。

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朝食は、やっぱりチャパティ


運転手は20代前半に見える若者で、車はインドのタタ自動車製のセダンだった。

車は、昨日オートリクシャーの荷台に乗って通った道を逆戻りし、途中で西へ向かうハイウェーに乗った。運転手に聞くと、ハイウェーは建設中で、デリーまで通じる計画という。ところどころに現れる距離表示板は、デリーまで1000キロ以上の道のりが残っていることを示す。インドを旅していると、いろいろな場面で、その国土の広さを実感することができる。

道はほぼ真っ直ぐで、舗装の状態も良い。街に入るとオートリクシャーやサイクルリクシャーが行く手をさえぎることもあるが、ひとたび街を抜けてしまうと、屋根まで人を載せたバスや大型トラックが目立つ程度で、交通量はさほど多くはない。


どこまでも続く真っ直ぐなハイウェイ。デリーまでの距離表示に唖然

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大型トラック同士の衝突事故・・・

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人と牛が仲良く水辺に憩う

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インドじゃ我がもの顔です、ボク


こういう場合、アジアの国々の運転手はたいてい

「ぶっ飛ばす」(おおげさではなく、こうした形容がふさわしい)

のだが、僕らが雇ったこの運転手はなぜか時速80キロ前後を維持し、まるで佐川急便のドライバーのような運転を続けていた。学生時代に訪れた中国・新疆で、自分が乗り込んだタクシーが街中にもかかわらず100キロ近いスピードを出し、さらに路上のそこかしこに歩いている鳥の上を「あえて」通過していくのを目の当りにして以来、僕はアジア地域のタクシー運転手を、どちらかと言えば否定的な視線で見続けてきた。当然、「ぶっ飛ばす」ものと思っていたこのインドの若者は、その凝り固まった「運転手観」を少しほぐしてくれた。もちろん、日本語を話せるあのホテルの社長からきつく戒められていた可能性もあり(頻繁に来日している社長は当然、日本の交通事情も知っている)、ぶっ飛ばしたい本音を隠していただけだったのかも知れないけれど。

彼は、それまで出会ったインド人とは違い、こちらから話しかけても一言、二言答えると、はにかんだ笑顔を見せてその場を収めようとした。英語があまり話せないことも影響していたのだろうが、シャイな性格らしかった。それでも、ヴァナラシまで半日近く、狭い車内で一緒に過ごすのだ。少しぐらい、彼の人となりものぞいておきたい。

「彼女はいるの?」

尋ねると、彼は否定しなかった、と思う。もう細かいやり取りは忘れてしまい、ここで再現できないのが残念だ。彼は、自分の家族や、住んでいる街のことも話した。片言の英語でのやり取りが、しばらく続いた。ああ、この調子なら互いに打ち解けて、長い道中、楽しくなるかな・・。期待が膨らみ始めたとき、彼がつぶやくように言った。

「I'm poor」

「Help me」

来たか、と思った。彼は、ホテルに雇われた運転手である以前に、インドの貧しい労働者なのだ。彼の背には、稼ぎの少ない仕事で細々と生計を立てている両親の期待が覆いかぶさっているのかもしれない。そんな彼が、仕事で出会った外国人観光客に「あわよくば、代金以上の見返りを」と期待するのも、無理はない。
もちろん、心の内で期待するだけならいい。しかし、それを口に出してしまうと、僕らと若者の関係は「客と運転手」から「持てる者と持たざる者」に変わってしまう。

僕らは黙ってしまった。それ以上会話を続けると、さらに彼が何らかの要求をしてこないとも限らない、と考えたからだ。所定の代金を払ってはいるが、ハンドルを握っているのは彼だ。万が一、彼の機嫌を損なえば、夕暮れ前にバラナシへ移動するプランが崩れてしまう恐れもある。会話を続けて深みにはまるよりは、英語が拙いことにかこつけて、こちらから交信を絶ってしまうほうが得策だ。

こちらが反応しなくなったため、彼は「怒ってるのかい?」と助手席の僕の表情をうかがった。僕は、微笑を浮かべて首を振った。


いよいよ、ヴァラナシだ。


途中、街へ入る道を間違え、同じ道を行きつ戻りつしたが、時刻は午後2時近く。ガヤを出発して5時間足らずだ。思ったよりは早く着いた。

ガンジス河が流れるヴァラナシの中心部は道が細く、車で通るのは難しい。出発前、日本語を話す社長はそう言って、車で入れるぎりぎりの場所にあるホテルまで送り届ける約束をした。運転手は、その契約に忠実に車を進めようとした。しかし、道行く人にそのホテルの場所を聞くと、中心部からかなり離れていた。オートリクシャーで移動はできるが、せっかく車で来たのだから、もっとガンジス河の近くまで行ってほしい。僕らは、運転手にさらに街の奥へ進むよう頼んだ。運転手はけげんそうな表情で「ランチは食べないのか」と言った。送り届けた先のホテルで、僕らにご馳走してもらおうと思ったのだろうか。

運転手を説得し、街の中心部を進んだ。社長の言うとおり、道は狭く、人やリクシャー、車でごった返していたが、渋滞しているわけでもなく、ゆっくり進めば何の問題もなかった。


センターライン代わりに木の棒が立っている


やがて、ガンジス河まで300メートルほどの「ゴードウリヤー」という交差点までやってきた。ここから先は、正真正銘、車で進むことはできない。運転手に礼を言って、車から降りた。荷物を背負って歩き出そうとすると、運転手が不満そうに何かを言った。いつの間にか車を取り囲んでいたリクシャーのドライバーたちも、口々にわめき立てている。

彼の不満は、チップがないことだった。

しかし、僕らは出発前に決めていた。ホテルで支払った6000ルピーがすべてだと。フロントの担当係員も「ガソリン代やドライバーの雇い料すべてを含んだ料金だ」と言っていた。

そもそも、チップを払うか払わないかは客の側の裁量で、求められて支払うものではない。

ただ、6000ルピーという想定外の出費に、僕らは少し頑なになりすぎていたのかもしれない。不満を口にしながら、なおも口元にはにかみを浮かべ立ち尽くす彼に手を振って、僕らはガンジス河へと歩き出した。














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